学校に来る専門家について、得意分野、経験、職種は重要だと思います。
【〇〇をさせたい】
専門家がもつ評価(アセスメント)を行うことで、その専門家ならではの意見を引き出すことができるでしょう。
しかし、その導き出したものが
担任の先生にとって、手に余るものだとしたら参考程度にとどまるでしょう。専門家にとって、求められたアセスメントの項目が専門外だと感じたら、それは面白くないものになるでしょう。
【どっちがいいか意見を聞かれる】
「この子は、こんなときに自分勝手に行動するんです。」
これについて、教育的無視を使うこともありますし、ルールを提示してなすべきことをしめす、友達の枠に並ばせる、行動を妨げるようブロックする、興味のある活動を随時いれる、などの指導方法があったとします。
指導を選ぶとき、メリットが多くて、デメリットが小さいものが望ましいといえます。しかし、大きなリスクをとってでもやらなければいけないことがあります。
これだけのリスクをとっても、やることに価値があるかな?と意見を聞いてみたくなります。担任の先生が抱えるジレンマや葛藤に対して、いかに応えるかが専門性の見せ所です。
【えり好みするな】
教員も、大学で教員免許課程をとったときに、聞いてもいないことをどんどん持ってこられるんです。分からなくても、好きでなくてもガマンしていることが多々あります。
それに対して、「私は〇〇の専門家だから、分かりません」「専門外のことを聞かないでもらいたい」など、私から言わせれば「フザけるなー」と言ってやりたいです。
まず、よく話を聞いて、漠然とした疑問点を一緒に整理していきましょう。その専門家でできることがあればやってあげればいいですし、分からないことや不得意なことは、他の専門家につなげるか、回答は後日にして調べてくるくらいの気持ちをもって頂きたいです。
専門家だから、その場で「よい回答」を提示しなければと気負い過ぎていないでしょうか。担任の先生は、そんなにすがりつくような感じで相談にきていないと思います。自分が分かることで価値あることを伝えなければと、的外れな答えを滾々と説明するようなことはないでしょうか?
それは、お互いにとって、大半が無駄な時間になります。