給食の話は、食形態、マナー、準備、手の操作、座位などの課題があります。
この手の話は忘れた頃にやってきます。
【食べるということ】
保護者から担任に寄せられるニードのなかに、食形態を普通食に近くして欲しいというものがあります。
「食べる」と一言で言いますが、「ごっくん」してしまえば「食べた」と思えます。
食事を所定の時間に、一定量おなかにおさめることで、栄養が摂取できれば良い。
美味しさを感じて、満腹感が得られればいい。
そうして、簡単またはみんなと一緒のものが食べられたらいい。
希望することは、いたって素朴ですね。
【形態食】
形態食は、やわらかい、水分多い、バラける、つぶれやすいなどの特徴があります。
口にいれて、噛んで、こねて、動かして、押しつぶして、すりつぶして…などの飲み込むまでの過程で、難しいところを軽減させたり、動きを引き出したりするために提供されます。
赤ちゃんの口の使い方から、健常な大人の食べ方の間で、どこがつまずいているんだろう?と思うのですが、飲み込んでしまえばOKという面も否定できません。
その子の摂食の実態からして、その食形態は不適です、だから食べさせません!という訳にもいかなくて、保護者の思いや意見が尊重、または妥協の産物で「ちょっと難しい形態」になったら、その責任は実施者である介助者に降りかかってきます。
「うわ…いやだな」
「この先、飲み込むクセがついて、窒息したりしないだろうか…」
「詰まらせたり、誤嚥したりしないかな、怖い…」
それで悩み、苦しんている教員がいます。
【指導力不足?】
「合わないものを食べさせている」と平気で批判する専門家もいらっしゃいました。
無知な面があったかもしれませんが、何らかの事情で「その形」になったというケースもあります。そのあたりのもつれたところを解きほぐしてからのほうが、支援がスムーズに進みやすくなることがあります。
家族はその子のことを日々よく見ています。
その子に対する思い入れも強いのでしょう。
しかし、知っているのはその子について、です。知識や技術、専門性の違いこそあれ、教員や専門家は多くの子どもや事例に対応してきています。年齢が高くなるにつれ、どうなっていくかのイメージももっています。(その通りになるかどうかは別にして)
保護者の方には客観的な目で、子どものこれまでと、今と、将来を客観的な目で見る機会をもって欲しいなと感じた、今日この頃です。