イライラした、思い通りにいかなかった、そんなとき攻撃機制が働いて「物理的攻撃(他害)」をしてしまうことがあります。
「こいつ、僕の飛行機をとったんだ。だから、許せなくて叩いちゃった。」なんてことはよくある話です。
所有物があり、それを侵害された。抗議や懲罰的な意思表示のために、叩く。それに対して、いくら主張が正当であっても、手段としてよくないよね、となるのがスタンダードな指導だと思われます。
しかし、良いことと、悪いことの区別だけでなく、自分のものか他人のものか、許されているか、許されていないか、の区別がつかない子どもの指導を考える時、社会規範に照らした指導が通用しないことが多々あります。
【勘違い】
大人でもあります。
ここ、駐車禁止だったの?ええ~?!
}道まで垂れ下がっていた柿、とったらいけないの?
悪いと知らなかったのに、結果的にやっちゃった、なんてことはあります。
「そこに頭があったから、叩いちゃった。」
悪いという自覚がないまま他害をした子について、「叩いたのは悪い!」と強く制止して、指導したときどうなるでしょう?
叩いた子どもは大人に対して「悪いことをした⇒その注意のために指導されたんだ」とは思えずに、「なんでそんなに責められなきゃいけないんだ、自分を守らなきゃ!」と反撃することがあります。
悪いことは悪い、良いことは良い、それを指導することは大事です。様々な人間関係や場面、場所などを経験するなかで、何をしてはいけないか、何なら許されるか判断し、理解することは、後々の生活に生きてきます。
ところが、子どもによって、自分がしていることの意味、指導されたことの意味が分からない場合があります。他害は止める、しかし、子どもの理解力や考えなどをふまえて、その後は強くしつこく指導しないほうがいいことがあります。
いつか、分かってもらえば良い。
行動をいい意味で変容させるきっかけになれば。
今回そう願いつつ、今後の被害が拡大しないよう、距離をとるように指導したり、場に応じた動き方を適宜伝えていくことにしました。