今日、普段一緒に仕事をしていない非常勤の先生が、学級にきました。
仕事で来ているのだから、何かやってもらわないと。
かといって、丁寧に説明していると時間が過ぎるし、流れを止めたくないこともあります。
まずは、流れが停滞しないと思われるところまで物事をすすめて、「ここからこの子、こうしてください」とすることを伝えつつ、「こんな傾向があり、こうしてもらうために、先生にこれをしてもらいたい」みたいな伝え方をしています。
そりゃ、私も応援に行くこともありましたが、分からない環境下では勝手なことはできません。
①今、何をする場面か
②自分に課せられた守備範囲はどこまでか
③該当の子どもが取り組んでいることは何で、何を促すか
④伝えた通りにしない、できないときはどのように支援するか
⑤良からぬことをしたとき、どう対応するか
このあたりが分かっていれば、気持ちよく協力してくれる…かな?と思います。
【①何をする場面か】
朝のランニングなのか、読書なのか、排せつ(トイレ)なのか、国語なのか、などによって、手の出し方が変わります。教材などの準備を伴う場合、誰が教材を出すか、その間に子どもたちを誰が見守るかの役割分担が必要になります。担任の先生が前に出て授業のリーダー(MT)をするなら、応援する先生やサブの先生はどこにいて、誰(何)に目をかけなければならないか、明確にしておく必要があります。
教室から飛び出してしまう、バイタルが安定しない、他の子をたたいてしまう、こういった情報は普段見ている先生がきちんと発信しておかないと、たまに来た先生が分かっているはずがありません。それをいきなり期待するのは酷な話です。
【②自分に課せられた守備範囲はどこまでか】
担任の先生が、「ここは私がおさえなければ」という子どもについた場合、その他の児童生徒がうまく流れにのるように並べる、言葉をかける役割が期待されています。反対に、「この子をきちんと見てくれれば、学級全体が円滑に動かせるのに」という担任の先生のニーズがあれば、ピンポイントでの役割が期待されているといえます。
このさじ加減は、担任の先生の学級経営戦略によるところが多く、何をする時間か?もからめて守備範囲が決まってくる感じです。
【③該当の子どもが取り組んでいることは何で、何を促すか、と④】
ここは、目の前にいる子どもの能力、性格、指導目標によると思います。たとえば、「着替えをします」と言われたとき、自分で着替えの袋を出してきて、中のものを取り出すことができるか、着替えの手順を把握しているかになります。そこで、いきなりハイどうぞとズボンを取り出して、差し出してしまうのはアウトだと思います。
「着替え、どこにあるのかな?」
「シャツとズボン、どっちから着替える?」
手順にそって、自分からどれくらい動き出せるかみながら、「本当に分からないのか」「本当にできないのか」「できないフリをしているのか」「どこでつまずいているのか」「どこを支援すれば、それに続いてできるのか」、確認しながら支援を継続していきます。そうして、あまりに依存的な場合は距離をとって、「見ているから、できるところまでやってみて」というのも、時に必要なことだと思います。
【⑤良からぬことをしたとき、どう対応するか】
個人的に、ここが一番難しいところだと感じています。
良からぬなかにも、何かできたエッセンスが含まれていて、担任がそれを待っていたとしたら。たとえば、これをしたいと主体的に動けたということで、それがたまたま良からぬことだったという場合。注意をしたことで、子どもが委縮してしまった、などと捉えられたら不本意なことこの上ないでしょう。
なら、どうしろと?ということになりますが、「先生は、ここで待っていてと言ったので、そのようにして欲しい」、「良いことは良いけれど、これは、してほしくないこと」、と基準を明確にすること、誰もが納得するであろう原理原則で指導するのが無難です。現に、経験のある非常勤の先生などは、このあたりをうまく意識してやっていると思います。
ただ、教室には「互いの指導観を尊重し、安易に批判しない」という職員室文化があります。理由があるなら、個々の教育観を発揮して指導してもらえればと思います。多少厳しくでも、甘くても、それは担任以外の人とのかかわりの中で得られる経験であるし、人はそれぞれ違うことを学ぶことができ、違いを感じるなかで自分は何が良い・悪いと思うのか、自分の考えをもつきっかけになると思うからです。
ただ、言われたことは守ってね…と思います。