学校の文化 担任の先生より

851)特別支援学校 犬だってそうでしょ

特別支援学校の校長先生が、教諭からの相談に対して、「手をかけすぎているのでは。犬だってそうでしょ」と自宅で飼う犬を引き合いに指導したとのニュースが出ていました。

これって、全国版のニュースになるほどの内容だろうか…と思っています。

犬と聞くと、「飼い犬」や「しもべ」のようなイメージをもつこともあるのでしょうが、その校長からすれば、家族同様の存在で、愛しむ対象として同じだ、と考えていたかもしれません。指摘が一方的な気がしますし、活字だけでは分からないものも多いと感じました。

それでも、このような一般的に心象を害するような教員の言葉や行動を叩くことで危惧されるのは、学校が委縮してしまうこと、言われないように無難なものへと均質化されていくことです。

近年の教員の姿を見て、感じることはないでしょうか。昔は良くも悪くも個性豊かな教員がいました。それらは大人社会の縮図のようで多様で、児童生徒はそのキャラクターを見ながら、いかに付き合っていくか体験的に学んだところが大きいのではないでしょうか。

【校長は何を言いたかったんだろう(憶測)】
言葉の言い回しはさておき、その校長は何を言いたかったんだろうと思いました。

「手をかけすぎ」とのことでしたが、二つ感じたことがあります。

1つは、あれもこれも、モレがないように、保護者からクレームなどがないようにと教員の忖度も含む仕事を肥大化させていった結果、「手をかけすぎ」とするならば、教員への指導として「ここはきちんとおさえて」「ここまではしないでよい」と経過と結果に責任をもつからやってみろ、と言って欲しいところです。

2つめは、実際の指導の量が多いという「手をかけすぎ」ならば、何を狙うか、何を確かめるか整理して、ターゲットを絞って指導することを伝えるべきと感じました。「できない⇒できるように指導」「進まない⇒進むように指導」「フォローするところが多すぎる⇒手を多く出す」、など、目についたものを何でも背負い込もうとする心理が、言葉や手を多く出すことにつながると感じています。

特別支援教育は難しいです。

手をかけることで成長を促すこともあれば、手をかけすぎて混乱を招いたり、依存心を高めたりすることがあります。

距離をとって主体性を尊重しようとすれば、手をかけていないと誤解されたり、思いもよらぬ事故になって指導責任を問われるリスクをかかえることになったりします。