担任の先生より

866)特別支援学校 じっと手を見る

よく、「目と手の協応」などと言われます。

目で見て、見たものの情報をもとに、どうもって、どう操作するか決めます。

物に触れながら、それがどんな特性をもっていて、どのように変化するか、手から伝わる感覚情報と視覚情報を頼りに、今やっている経過や変化などを把握していきます。(こんな説明で合っているかな…?)

【見ない】
よくあるパターンが、一瞬目でみて、どんな課題か分かったら、手の感覚で作業をすすめる、というものです。途中でエラーが起こったら、投げ出してしまう(やらない)、その時に再び一瞬見て確かめる、みたいな感じです。

途中経過がどうなっているか目で見ないので、特定のパターンで始まり、終わるものでないといけない、ということです。変化を見ながら工夫する、調節するなんてことは受け入れがたい、みたいな感じがします。

ドラマなどの金庫破りのシーンを思い浮かべると、手の感覚にすべてを集中させ、目はあらぬ方向を向いていることがあります。それだけ、手の感覚に依存している、集中しているんだ、と言えなくもないですね。

【指導中の、見る】
よくある指導が、作業の途中に「見て」、「見る」と声をかけることです。あまりに顔をいろいろなところに向けてしまうときは、頭が一定の位置と向きにとどまるよう、定位させる介助をすることもあります。

見てと言われて、「見る」とは何なのか、分からないかもしれません。動詞は手や足を動かすことで、これが「蹴る」ということか、などと分かってくると思いますが、「見る」は具体的な運動として把握しにくいです。

側にいる先生が子どもの眼球の動きを見ながら、何かを見たと判断した瞬間、「みかん、見たね!」と言ってしらせることがありますが、あちこち注意が転動しやすい子どもが相手だと、なかなかうまくいきません。

とにかく、主体性をもって何かに働きかける、手を意図的に使う経験が少ないと、手の操作を目で見て確かめることにつながりにくいと思います。

【確か…】
最近、彼が自分の手を顔の前にかざしたり、じーっと見たりしています。

あれ?手を見ることを今学習しているの?(ハンドリガード)と思ったり。

中学部前後の子どもについて、乳幼児に学習するはずだったものを、今気づいてやっているの?と思うことがあります。発達段階にあるものを一つ学習することで、それを基盤にして新しいことに気づき、世界が広がる

契機になるかもしれません。それに気づいたら、目標設定をして取り組んでもいいし、経過を見守ってもいいと思います。

なんとなく見て気づくこともありますが、意図してみることによって、指導の質と幅が広がることあるので、是非やってみてください。