学校の文化 担任の先生より

871)特別支援学校 授業時数削減をするときの課題

先日、次年度の授業時数について意見交換をする機会がありました。

大枠の流れとして、「授業時数を減らしていこう」というものになっています。

これも働き方改革の影響だと思います。ここにくるまでに、様々な教員が病休にはいったり、退職したりしています。これですべてが良くなるとは思いませんが、法律に則って定められた教員定数が埋められない状況は「不適切」といえます。できることはしっかりやってもらいたいと思います。

【教員の意見】
肢体不自由と知的障害の学部担当教員間で意見の相違があったように思います。

知的障害の学部からでた意見として

・授業準備や保護者対応などで大幅に勤務時間が長くなっている。

・在校時間が長くなると、疲労感がでて子どもが落ち着けなくなる。

・授業時間が多すぎるのであれば、減らしても良いのではないか。

・新入生の学年は、一からすることが多いので、とても時間が足りない。

これに対して、肢体不自由の学部担当教員からも概ね同じような意見があるのですが、違っているところで特徴的だったのが、「保護者への説明をどうするのか」、「保護者の負担に配慮しなくて良いのか」でした。

【肢体不自由の学部にありがちな状況】
いくつかの肢体不自由の学部に属していましたが、肢体不自由の学部の教員は「保護者との距離が近すぎる」と感じていました。(あくまで個人的な感想です)

子どもに関する情報を交換するために、指導や支援の方向性を共有するために、保護者と話をして、共感したり、問い合わせをしたり、提案事項を伝えたり、学校の状況に合わせてもらったり、といったことがあります。

そうして、そのうち教員自身が保護者みたいになってしまったり、保護者を鏡にうつしたような存在になってしまったりすることがあります。

「保護者は兄弟の対応もあるんだから、私がA君を見てあげなければ」
「保護者はいつも時間のないなか、家事などのやりくりをして苦労している」
「保護者はずっとA君中心の生活をしていて、息抜きをする時間がなく、疲れている」

⇒「だから、私が支えてあげなければ」となりがちです。

授業時間を減らすということは、下校時間が早くなるということです。時間割は毎週行われる授業の枠組みをあらわしたものなので、一つ下校が早くなると、それが毎週ずっと続くことになります。

保護者に配慮したい教員からすれば、私が責任をもってみると決めていたのに、下校後のことを考えると、保護者に何と言えばいいんだ、となります。保護者に共感して対話してきたのに、それをひっくり返すようなことは言いたくない、と思うのかもしれません。

【担任だったときに考えていたこと】
私が肢体不自由の部門の担任をしていたとき

感情労働に走ったら、どこまでもやってしまうことになるので、キリがない。
何かあったときの責任をどこまでとれるのか。
他の児童生徒とのバランスや公平さを考えると、やりすぎは、やりにくさにつながる。
保護者に依存させる存在になってはいけない。(保護者と子どもの自立に配慮する)。
他職種と同様の距離感であることを前提に、連携できるようにしたい。
自分のあとに担当する教員に、感情労働を強要することになるので、それは避けたい。

私は教員なので、登校してから下校するまでの間にできることをやり、児童生徒が疲弊せずに生活できるペース(質と量とインターバル)を見定めてかかわるようにしてきました。

肢体不自由の部門は「肢体」と「知的」のミックスの支援になるので、おさえるべきことは抑え、やるべきことを選んでやらないと、「とにかく手をかけることが正義」になりがちです。長い目でみると、教員と子どもを疲れさせてしまいます。

授業時数を減らすことは、今の教員の現状を考えると大事だと思いますが、その後に活用できるものがないと、公共の福祉が縮小しただけになってしまいます。保護者と子どもの24時間を考え、学校に依存しない支援体制を構築することをセットで考えないままだと、「授業時数の検討(減らす)」と「保護者への説明」に対して一部の教員が難色を示してしまうのも理解できます。