朝の運動や体育などの場面で、ラジオ体操や、学校独自で作られた運動をすることがあります。
大抵、前に教員か、振付を覚えている児童生徒が前に出て、手本を示すのですが
①自分も覚えているからと、マイペースでどんどん進めちゃう子
②手本を見ながら、右だっけ?左だっけ?と慌てふためきながら体を動かす子
③ペースがはやいので、2回やるところを1回で完結させていく子
④手本の動きを目で追えなくて、立ちすくんでしまっている子
⑤聴覚過敏など、集団のなかにいると刺激が多いので、すみっこに座って終わるのを待つ子
⑥自分の好きなことをしたくて、友達や教員にちょっかいを出しに行く子
⑦自分なりに手本に合わせて運動できる子
など、様々な子どもがいます。
教員が側について指導している、教員が距離をおいて様子を見ている、言葉だけかけている、など指導の形は教員によって、児童生徒によって様々です。側について指導しているから良い、離れているから指導していない、といった単純な話ではないと思います。
勿論、教員の数は子どもの数と同数ではなく、側につかないと危険(他害、転倒、遊出、など)な子どもに教員がついてしまったら、あとは児童生徒が個々に活動できる環境づくりや声かけをするしかありません。
特別支援学校では…手をかけ、言葉をかけているほうが熱心に指導している、親身になって指導しているとみられがちです。サービス業としては優秀でしょうが、子どもの主体性を発揮させることができるように、1人でできることを自覚できるように、課題に取り組むより大人のことばかり気にしてしまうことがないように、といった課題があるとしたら、つきっきりは子どもの成長を阻害してしまいます。
【運動や活動の経験】
自転車に乗り始めた時は、倒れないように、両手を離さないで、ペダルにいつ足を置いたらいいんだとアワアワしていますが、いつの間にか近所を走り回るようになっています。
「体で覚える」
「パターンで覚える」
といった小脳や大脳基底核がフル稼働する場面です。
歯磨きをするときも、ぼーっとしていても、それなりにできてしまいます。
職場の近くの居酒屋でお酒をしこたま飲んで、記憶が飛んでいるにもかかわらず、電車に乗って自宅の玄関で倒れていた、なんていう話を聞いたことがあり、経験とパターンの強化とは、不思議なものだと思います。
段取り通りに動くこと、体操を次々にやっていけることは、児童生徒が自分の体と使って、目で見て、考えて、判断して、やってみることで身についていくと思います。
体操をするとき、教員が後ろについて手をとって動かしているのは、参加している体はあっても、子どもの頭と筋肉を使って動いている訳ではないので、動き方の学習にはつながりにくいんじゃないかなと思います。
また、大人がすることを前もって次々と言葉に出して指示する場合も、言われたことを聞くだけで、自分で見通しをもって動かないので、動きそのものは習得できても、全体の流れを把握することは簡単ではないと思います。
【できそうなこと(指導のテーマ)を探す】
ラジオ体操や、カバンの中のものをとり出して、所定の場所におさめていくことなどについて、細かく分析(作業分析)すれば、たくさんの要素が重なって、からみあっていることが分かります。
どこが機能していて、阻害因子は何なのか、その中で支援することや練習することによって獲得できることはどこなのか考え、できそうなことを探します。
できそうなことと言っても、それは1つではないので、教員ごとに視点や方法が違っていて
「あぁ、先生はそこを狙うんですね。私はこっちから指導してみたいですねー」
「指導はA⇒B⇒Cの順でいくんですね、私はここを確かめたいのでB⇒C⇒Aの順でいこうと思いますねー。」
「私はDをやってみてから考えますねー」といった話になります。
子どもごとにピタっとはまる指導が違います。自分の引き出しにない指導方法や仮設の検証の方法、指導の観点を増やしておくと、探求と試行錯誤が続くので、核心により近い指導が選べるようになります。ただ、そこに至るまでが本当にしんどいので、経験が浅い人は多くのことを経験しつつも、消化できる程度でお願いしたいなと思います。