担任の先生より

892)特別支援学校 卒業学年は大変だ

小学部6年生、中学部1年生、高等部1年生、いずれも各学部の卒業学年になります。

私も卒業学年を何回もみていて、仕事的にプラスアルファがあるので大変だと思います。その大変さは感覚的には分かるけれども、具体的に何があるのでしょうか。思い出して書いてみます。

【卒業学年あるある】
まず、あるのが修学旅行などの行事です。最近、最終学年は受験を控えているので、宿泊行事を前倒しにする傾向があると聞いていますが、特別支援学校では「はじめ⇒なか⇒おわり」という流れを大事にする傾向がありますし、学年ごとに児童生徒の実態は違うのはさておき、小学1年生より小学5年生は学習が積みあがっている、小学部より中学部の児童生徒のほうが大人だ、という生活年齢を尊重する傾向があって、学年が進むにつれて、より遠く、より泊数が多いもの、交通機関の利用が多いものになりがちです。

そのため、発達段階がゆっくりで、人数が多く、個々の課題が多様、問題行動が多く、介助量が多く、理不尽または複雑な保護者の要望が多い子どもがいると、いわゆる「難しい学年」の称号を頂くことができます。その学年集団を、前年度より難易度を増した場所に引率する…いかがでしょうか。

また、卒業アルバムも話題にあがります。この卒業アルバムの原案は卒業学年の教員が担当することになります。これは、いわゆる必ずしも教員がやらなくてもよい仕事に入るのですが、予算建てがされており、自他ともに作成されて当たり前と思われていること、毎年やっているということで、なかなか廃止にはなりません。引継ぎなどで、「うまくまとまっているでしょ?これが型になっているので、よろしく」みたい卒業アルバムの型を案内されたりすると…。

最終学年で、入学時から最終学年までの歩みを拾い上げて(それも、一人ずつまんべんなく)、並べてまとめるのは大変です。そのため、学年ごとに卒業アルバムに使うための写真データを選んでおいてねといったことがアナウンスされることもありましたが…。やってない学年、データがないといったことが多発します。

図工などで、卒業記念の作品づくりもあります。みんなで作ったので、記念に持って帰ろうというものだったり、合作で大きい作品を作ったので観てね、みたいなものだったりします。卒業記念という肩書きがついているので、相応のものを作らなければならないプレッシャーを感じる先生が多いです。

文化祭などのイベントでは、卒業生をたてる(見せ場を作ってあげる)ことが日常になっているので、それに応えるために逐一準備して備えることが必要になってきます。舞台発表は得体の知れない「卒業生らしさ」が求められるので、日常の学習成果を見せる以上のタスクが迫ってきます。

卒業式では、子どもの実態に合わせてアレンジすることはできません。式次第に則って、「並んで入場する」、「話をしている間、座っている」、「授与では部隊のうえで礼をして受け取って…を見栄えよくする」といったごまかしがきかない舞台にあげられることになります。卒業学年の先生には、適切な形におさまるようにまとめる圧力がかかります。

挙げ始めたらキリがないのですが、最後は進学に向けた書類づくりです。成績や出席などを書いた指導要録、進路先にむけて作成する願書等書類、卒業証書の作成などがあり、最後まで在校生よりも数割増しのタスクがかかった感じで一年を終えることになります。

【卒業、その後】
たいてい、卒業式のあとに修了式になり、終了式では担当する児童生徒が登校しないということで、年休をとって自宅で倒れている先生がよくいます。なかには、追いまくられない状況で出勤して一日を過ごしたいと考える先生もいるようです。(私はどちらかというと後者でした)

また、卒業学年の先生に待ち受けているのが「校内異動人事」の洗礼です。卒業学年をもった以上、学部を越えた持ち上がりでない限り、その学年の教員集団は解体されて、あちこちの穴埋めにまわることになります。質と量が高く、いろいろなことをやった一年の仕事が、まるでなかったかのように消えてしまって、あまり活かされることなく次年度の新しい仕事に向かわなければならない、その点はちょっと複雑な気持ちになりますね。