担任の先生より OT・PT・ST

894)特別支援学校 学校のなかで作業療法が期待される役割は、意味をもたせること

3月に入り、「あぁ、この学級もあと半月で終わりか…」と思いつつ、「次にこの学級を担当するのは誰なんだろう?」、「自分は次にどこで仕事をするんだろう?」と思うようになりました。

この学級はどんな学級で、どんなことを目指していたかは学級経営計画に書いてある通りです。

個々の子どもはどんな子で、どんな観点で評価(実態を見定める)して、どんな方針でやってきたかは、支援計画と個別の指導計画に書いてある通りです。

ずっと教員をやってきて、「指導方法」を引き継ぐことは、どれだけ意味があるんだろうと思います。できたと思っていたことも、教室が変わったり、教員が変わったりしただけでできなくなるのを何度も見てきました。きちんと定着したなら、わざわざ言わなくても自分でやって見せると思います。

いくら指導方法を出したところで、時間割の形がガラっと変わればタイミングが合わず、次の先生の指導観の違いで優先順位が下がり、力量の違いで手段を変えなければならないこともあるでしょう。ある先生には価値が感じられず、ある先生には程度の低い指導と感じ、ある先生にはハードルが高すぎると感じる指導もあるでしょう。

自分自身も新しい場所で働くとき、せっかく新しい出会いなんだから、二番煎じみたいなことばかりにとらわれず、新しい学級(教員、子ども)のなかでできることを探して、新しいあり方を模索してもらったほうがいいと思います。

【作業療法】
作業療法の知識や技術を生かすこと、これについてこれまでも悩み、考え、案を出し、あーでもない、こーでもないと言ってきました。どれも正解と言わないし、どれも不正解とも思いませんが、今は特別支援学校で作業療法をどう生かすかというと

学校で次々と行われる授業、個別の治療みたいなことをするにはタイトなスケジュール、それでも発達を促し、一貫性をもって進めるようにするために、「学校での活動に意味をもたせること」が大事だと思っています。

「今やっている様子から、この子はこんな状態だと分かりました」、「今やっていることは、この子にとってこんな利点がありますね」「それを狙うなら、それ以外にもこんなのがありますよ」みたいな言葉かけは、担任の先生にとって承認または後押しだと感じるでしょう。

日々の活動で意味や価値があることが分かれば、その後つくっていく授業や支援のなかで何ができるか、担任の先生自身で創意工夫していくでしょう。そうなれば、作業療法士は知識や技術の押し売りをしなくても、求められることに応えていくだけでよくなると思います。

やった仕事は形に残らないし、直接指導した訳でないから手柄や貢献度ははかれないことが増えます。自分が担任をしたら、成果は自分が…と思えるかもしれません。コンサルテーションだけでは面白くない、私のように自分で考えてやったほうがいいと思うなら、日々、直接指導する教員になるほうがいいかもしれないですね。