担任の先生より OT・PT・ST

896)特別支援学校 単独校内歩行の条件

教室の前にある廊下の端で子どもと一緒に座っていたら、他の学年の子どもが歩いてきました。

どこに行くかは分かっているのでしょう、目線は少しうえのまま、まっすぐに進みます。障害物があったら、よけるのかな?足下の様子はどれくらい把握できているんだろう?と思いながら、その様子を見ていました。

その子は、歩いている途中でくるくると回り始め、10回未満で歩みに戻し、曲がり角を曲がっていきました。

子どもの姿が見えなくなって10秒くらいたってから、教室から担任と思われる先生がその後を追うように歩いて行きました。

さて、歩き去ってしまった子どもについて、移動に関する指導は必要でしょうか?

普段、歩けるかどうか、安全に歩けるかどうか、言葉をかけることが必要か、側にいることが必要かどうか判断して、指導に反映しています。どんな観点や基準が満たされたら「一人で行っていいですよ」と言えるのでしょうか。

【集団と個別、校内の移動の支援について】
よく教員は手をつなぐ、列をつくる、順番を変える、などの工夫をしながら学級集団が安全に移動できるようにしています。そこには、しなければならない支援、リスクを下げる工夫、気になるけれど妥協している点、などが混在しています。

一人ひとりの実態を挙げて、個々に必要な支援が分かったところで、引率する先生は1人か2人、細やかな支援には限界があります。場合によっては普段一緒に過ごしていない先生が入る場合がありますので、日常の支援の型は緻密過ぎると、ほころびが多くなる気がします。

集団の引率の次に、個別の移動に関する支援はどうでしょう。個別の指導の機会だから、常時ハンドリングしたり、注意するポイントを口頭で伝えて歩行や移動の改善を図ったりするでしょうか?

実際に毎日教員として子どもの学校生活を支援していると、個別リハのような取り組みに特化した機会って、あまりとらないなぁと思います。教室からトイレに行って、戻ってくる時間もやってできなことはないのですが、教室まで戻ることを見失わずにいけるかな、寄り道せずに移動できるかな、周囲の人とぶつからずに移動できるかな、といったことを気にしています。

個別の指導は質を高める機会というのは分かっているのですが、常に手をかけ続けると、普段何気に行っている移動の実態を把握できないばかりか、子どもが自分の周囲の環境に目を向けるよりも、大人とのやりとりに気持ちを向けすぎることになるかもしれません。

【何を評価すればいいんだろう?】
子どもに目を向けていますが、ここから入る情報の数々が、「一人で歩いて行っていいか」、「おたよりボックスまで一人で行って、中の物を確認して教室に戻るができるか」などが実現可能か判断する基準づくりになっています。

心身の機能面はさておき、どんなところを見ている(評価)かというと、そんなに緻密には見ていません。歩行周期はどうか、目線の動きはどうかなどは、そこに課題意識を向ける理由がない限り、あまり気にしません。

・周囲の環境に目を向けているか
・どこに向かっているか分かっているか
・どこに戻ってくるか分かっているか
・人とすれ違うときに軌道を変更できるか
・他の人に気をとられて、本来の目的を見失ったりしないか
・導線にある掲示物や置いてあるものに手を出して、壊したり持ってきたりしないか
・寄り道せずに行って、戻ってくることができるか
・行った先のタスクを把握しているか
・想定できるイレギュラーな事態に対応できるか(配布物がある場合と無い場合がある、など)
・移動時に自分で、または他の物や人にぶつかって転倒する恐れがないか
・導線に他害する児童生徒がいないか
・ぶつかるリスクを想定でき、突っ走ったりしないか

思いつくまま列挙したら、結構ありました。上記のすべてを満たさないと1人で移動するのは難しくて、指導すればなんとかなるものと、なかなか難しいものがあります。個々に移動に関する課題を把握し、列挙し、そのなかで実現可能なものから着手します。

学校における個別の指導は環境や条件をふまえてですので、なかなか難しいです。