担任の先生より

923)特別支援学校 教員の学び

「学ばない教師」が学級崩壊を招く!

特別支援教育が始まり、だいぶこなれてきてから、このようなコラムや論調が増えてきました。先日みたものは、「中学校で求められる…」とありました。

今は、知識・技能、つながる力、調整する力、コンプライアンス、情報検索能力、これらを必要に応じて使い分けることが必要だと思います。こんなに必要なのかと、書いていて思いましたが、ネットであふれている公私のソースを見ていったら、「教員の資質」、「求められる能力」はものすごい数なので、かなり端的にまとめたのではないかと思います。

ネットにあふれる「教員に求められる資質」を網羅できるスーパーマンはほぼいないと言っていいでしょう。かといって、偏りすぎていては仕事ができないと思います。では、何が必要なんだということになりますが、上記のようなものが並み程度でも揃っていれば大丈夫じゃないかなぁ?ということです。

【教員の学びの歴史 私見】
20年ほど前は、今のように学校が管理されていなかったと思います。職員会議では怒号が響いたのを何度も聞きましたし、ずっと人間臭い職場でした。仕事も、子供への教育が中心で、その他の仕事の種類は細分化されていないので、分担こそあれ、先輩教員が若手に教えるのが常でした。

かなり同族的な雰囲気があったので、そこに溶け込んでいれば仕事はしやすかったと思います。その反面、同調圧力が強くて、新しいものを持ち込んだり、内側から変革させたりするのが難しい雰囲気でした。

ネットが今ほど発達していなかったので、本から学ぶことが多かったです。研修に行こうとする雰囲気や時間がありました。日々の仕事をしながら学ぶことが多かったと思いますが、校内で行われる学習は、どこまでやったか記録に残らず、色々なことをまんべんなく学ぶには、長い年月を要すると思いました。

【昨今の教員の学び】
どうも、昨今の教員の育成について、仕事の種類と量が増えたことで、個々に別々の仕事を抱えることが多くなりました。そのため、ベテランと新人が組んで仕事をすすめることが多くなったと思います。ベテランは多くの仕事をアップアップしながらこなして、新人は何だか分からない仕事をあてがわれて、分からなければ聞け、と放置されることが増えたと思います。

内内で行われる日常的な指導や研修は減り、教育委員会などのフォーマルな、実績として残る研修が増えています。いろいろなことを幅広くするようになりましたが、日常のなかで学ぶというより、仕事をすすめるためにこなす、という割合が増えたと感じます。こなす仕事は意味や価値を知る、よい方法を考えたり選択したりする機会に乏しいと感じます。

また、現場での「教える」は過重労働を助長すると考えられたり、パワハラだと解釈されたりする可能性があるので、あっさりしたものになりがちです。

【思うこと】
教員について、全体的にバランスがとれた人が多くなり、技術的に優れたものを取り扱うのに長けていると思います。昔はこの先生はこれが強いといった職人気質の人が多く、創造性あふれる教材が多かったと思います。

家族的な人間性(良くも悪くも)関係から、サービスとしての俊逸さが求められるようになったと思います。どちらが…ではなく、社会全体がそのように変わってきたと考えるべきでしょう。