学校の文化 担任の先生より

924)特別支援学校 教員の静かな退職

「静かな退職」という言葉があるらしいです。

意味がよく分からなくて、何も言わずに代行に頼んで職場に退職の意志を伝えること?それとも、病休の後に姿を消すように退職すること?などと思いましたが、違いました。

【静かな退職】
「静かな退職(quiet quitting)」:実際に退職するものではない。上昇志向を持たずに、決められた必要最低限の仕事を淡々とこなす。退職が決まった人みたいに、心の余裕をもった状態で仕事をすること。

みたいな意味らしいです。ライフワークバランスを守るために必要な考え方だと思いました。が、なんでこの言葉が引っかかってきたんだろう?と思います。

【御恩と奉公】
鎌倉時代の将軍と御家人の間にあった「御恩と奉公」では、主人が領地を与える、領地の支配権を認め、御家人は京都や鎌倉の警護を守るというギブアンドテイクの関係を思い出します。

上がこれをやっておけと投げる、下は与えられた義務を果たしながら、領地は自分で管理する、みたいなところが昔の教員と、少し似ているなと思っていました。

都道府県等⇒法律に則って、学校を設置し、人員を配置して、学校を運営させる。
教員⇒給料を得ながら、任された学校の運営にせっせと取り組む。

昔も法律的に教員を管理するものはありましたが、ジーンズをはいて、ゲタを履いて、ジャージをはいて、ある人は怒鳴り、ある人はほっぺたを叩き、ある人は生徒と一緒に泣き、砂浜を一緒に走ったりするのが日常でした。そこには「適正な公務員」というより、「感情のある人間同士のぶつかりあい」だったり、「年長者として年下の生徒の上にたつ人」という役割が教員に与えられていたと思います。

その裏には、言うことを聞いておかないと、領土安堵(進路)に影響あるぞという、もう一つの御恩と奉公も存在していたと、今になって思う次第です。

【オーバーロード】
人間臭い教師像はなりをひそめ、学歴社会だけでない価値観が世の中を覆っていくにつれ、教師とは何をする仕事なんだ?という素朴な問いがあり、社会がかわるにつれて、あれもやります、これもやります、これも大事、あれも大事と、法律で決められている学校教育というものが、世の中が変わっても必要なものだと言いたいがために、公立学校という枠組みや、教員の勤務体系や専門性の枠、人間としての容量(許容量)を度外視するようになってきたと思います。

その結果、多くの教員が過重労働を受け入れ、ある教員は命を絶ち、ある教員は仕事を縦割りで区分けをし、ある教員は保護者や児童生徒と依存関係を築き、ある教員は実行部隊から口で指示を出すポジションに逃避したと考えます。

【学校の静かな退職】
そうして、ある教員は昇進を放棄し、子どものために自分の意志で授業や教材や人材育成を放棄して、言われたことをやったら、あとは静かにするようになりました。

やりだしたらキリがない、真面目に取り組んだら自分が壊れるので、自己防衛として「静かな退職」的な働き方を選ぶケースが増えてきていると思います。成果主義や職層が強調されるにしたがって、バリバリ仕事する人と、積極的にうってでない人(静かな退職にやや近い)、管理的なポジションに移行したがる人にはっきり分かれてきたように思います。

昔は、やれることをやらない怠慢な人だと厳しい目で見たこともありましたが、昨今の様子を見ていると、それも生き方、考え方のひとつだと思うようになりました。上も下も、何を、どの範囲で、どの程度できるのか、客観的な視点をもって考えることが必要なのかもしれません。