医師・介護・看護 担任の先生より

960)特別支援学校 専門家への過信

先日、医療的ケアの実施について、話し合いがありました。

ざっくりとオチを言うと、「看護師さんの業務量が過重で多様なので、教員も医療的ケアをもっとやりましょう。看護師さんが側にいるし、大丈夫」とのことでした。

その背景にあるのは、特定の子どもに対応できる教員が少なくて、不在の人が増えると対応できなくなる、看護師さんに依存する割合が高く、シフトを組むのに難渋しているといった事情があるんだと思います。

「~ができるよう工夫する」

この積み重ねが、「多少のリスクはあるだろうけれど、安全に気を付ければできる」という案件を増やすことにつながっていると思います。

この安全に気を付けるという言葉の意味は、「決められた手順をまもる」、「決められた手技を間違えずに実施する」ということと同義です。このへんの感覚が、ちょっと自分には理解しにくいのです。(いまだに)

【基礎基本】
医療系の資格をもち、その専門性を行使する人は基本が大事だと知っています。解剖学や生理学などの知識をぐいぐい詰め込まれたあと、それが病気等の影響があり、どうなっているからこの手技が必要なのだ、という流れが頭に入っていると思います。

吸引や注入は、目的を達するために必要な事項について、合理性と安全性をとって組み上げられたものです。

そのため、ギリギリの線を攻めているようなものは、想定外のことが起こったとき重大なエラーにつながることがあると想定できます。想定外の病変や体調の変化、対象児の行動、その他の子どもや教員の行動、これらを総合的に考えると、リスクがあり過ぎて怖いなと思わされます。

決められたことをしっかりやればいいんじゃないか、を基準に物事を考えることに違和感をおぼえるのはこのあたりです。手技だけでなく、リスク管理、状況確認、状況把握、これらを同時進行ですることは容易でないのに、なんでそこまで「やります」「できます」と主張できるのでしょうか。

決められたことをすればいい、何かあったら看護師さんが見て、対応してくれるという過信は他力本願すぎないか?と思います。また、看護師の専門性を最後の防波堤にしながら、独断で「教育のことや、保護者へのサービスを検討するのは私たちとばかりに、能力以上の仕事を増やしてくるのはどうなんでしょうか?

【専門家の立場から】
専門家とはいえ、人間ですから単独で正解を出すことはできませんし、ノーミスですべてを完結できることはできません。専門家も同じ人間なんだと理解することが必要です。これを含めて、組織的対応として妥当なところはどのあたりか、もっと慎重に考えてもらいたいと、個人的に思っています。