進路といえば、今いる学校を卒業したら次はどうする?とか、就職か進学か選択するといったピンポイント的なイメージがありましたが、今はキャリア教育や、ライフステージなど長期的視点でもって考えることが主流みたいです。
確かに、やりっぱなしや縦割りよりも、前後を考えた方がいいのですが、視点や視野だけでなく、行動連携を伴うと、いろいろな部門や部署、組織やからみあうことになり、やっていることの責任の所在が曖昧になったり、本来発揮できていた決定力が薄まってしまったりするんじゃないかと危惧しています。(どうなんでしょう?)
【進路研修】
全校で行う研修のなかで、進路に関する研修があり、グループワークが行われました。グループワークは40分くらいの尺が確保され、1グループ10人くらいだったと思います。
グループごとに2つお題が出されました。例えば、「児童生徒を自分でできること、できないことを判断できる人に育てるには、具体的にどんな方法があるか」などでした。
【話したこと】
「スクールバスを利用するのではなく、一人通学をするためにはどうすればよいか。そうするとどんな良いことがあるか」とうお題がでましたが、どうでしょう?
シンプルに見たまま捉えて考えると、まず一人通学の場面(家を出て、学校につくまで)を分解して、場面ごとに必要なスキルを列挙して、この子はどこまでできるかな、どの程度できるかなと判断していくんだと思います。
話し合いでは、高等部でこれまで行ってきた指導について話を聞くことができ、一人通学を実現するためには、こんなスキルが、保護者にはこんな協力や理解が必要なんですよ、といった情報が共有されました。また、一人通学ができると、進路先や生活圏が広がる、ということになりました。
【社会参加は難しい?】
支援を受けながら生活していた子どもが、校外の環境に1人ででていき、目的を達してくる、安全に行ってもどってくるというのは複雑で難しいことだと感じます。
実際、話を聞いて、小学部の先生などは「それは、ウチの子には難しい」、「さすが高等部になると、そんなことができる子がでてくるんだな」とビビってしまい、「そんな指導はまだまだできない」と言っていました。
しかし、学校がもっている時間の長さと頻度の多さがもたらすメリットを活用することができます。一人でバス停まで行くには、靴を自分で履き、左右を確認して方向を決め、曲がり角の先から来る車や人を予見して、ゴールまで脱線せずに移動できることの総合力で可否が決まります。
小学部から取り組んでいる学習が、正しく身についていて、その集大成の1つが「ひとり通学」だと思います。そこにお金の計算や商品を選ぶ、順番を守るなどができれば、一人通学して、買い食いをして帰ってこられる人になります。
すべての積み重ねの先に、たまたま直面した目標が「一人通学」だったりするのでしょう。レベルが高すぎると感じても、裾野は基本的なことばかりです。
進路について、小学部から取り組めることはあります。たとえ、予後予想が立たない、ニードの変化
が定まらない、具体的な長期目標が立てられなくても、先につながるものを信じて、段階的に、広く学習を積み重ねていくこと、そのものがキャリア形成だと思うのです。