LGBTQ+に関する本を読んでいて、「あれ?どう解釈したらいいんだろう?」というところがありました。以下のようなことが書かれていました。
①「その人にとっての「あたりまえ」を「ふつう」とするなら、すべての人が「ふつう」であるのは不可能です。」
②「ふつうを押しつけず、お互いの違いを尊重し合う態度と行動をすることで、だれにとっても生きやすい社会をつくるのではないか」
①は、自分が考えていることが世界のスタンダードで、他の人も同じように思っていると考えてはいけない、ということでしょう。「それって、常識だよね~。え?違う?みんなそうなの?それって私だけ?」というパターンです。
②ふつうを押し付けないということは、大多数の特定の意見で、個人または少数派を批判や非難、差別をしない。あるがままを受け入れることで多様性が認められ、肩身の狭い思いをする人がいなくなる、ということでしょうか。
【ふつうは大事】
「ふつう」って、考えると難しいなと思いますが、ふつうは大事だと思います。
指導目標や内容を考える時、その子が公共にある施設や場所について、周囲に怪訝な顔をされないように、スタンドプレーが過ぎてのけものにされたりしないように、教員が考える、その子に受け入れられそうな「ふつう」を教えています。
トイレについて、異性のトイレに空きがあったとしても、私は男子児童に対して男子トイレに行くよう促し、並んでいるなら待つように伝えるでしょう。尿意があるから行かせてあげるべき、合理的配慮があるから許されるだろう、公園のきまりに書いていない、などの意見はあるでしょうが、余程切迫した状況でない限り、ふつうを教えます。
「ゴネれば通る」、「自分以外の人は、自分に合わせてくれるもので、それは当然だ」、なんてことを思い込んでしまわないようにと思いますし、世の中にはルールがある、状況に応じて判断して行動しなければならないときがある、生活するうえで思い通りにいかないことがある、ということを経験的に学んでもらいたいと考えています。
【こどもが大事】
学級にどんな子が何人いるのかは関係なく、自分の子ども優先してくれ、自分の子とガッツリかかわってくれと要求してくる保護者の方がいらっしゃいます。
周囲に迷惑をかけないで生活しよう、みたいな昔の日本人はどこにいってしまったのでしょう?
保護者だけでなく、教員にも理解不能な持論でもって場をかきまわす人がでてきている昨今、多様性などの言葉が重たいと感じることがあります。