先日、管理職から「作品展示を積極的に行うように」という話がありました。
図工や国語など、児童生徒の学習の成果を目に見えるようにする、ということです。
【可視化】
学習の成果は、各児童生徒の家族に向けて随時、または成績を出すたびに説明しています。
しかし、それでは対外的に積極的に活動しているか分からない、ということでしょう。
数値化、可視化はよく言われるのですが、こうなると見せる作品づくりに追われそうな気がします。
それでも、私のいるところは少しこだわりがあって、何度か繰り返し、作品のうえに新たな技法をのせてグレードアップ、なんてことをやっているので、なかなか完成しません。
たぶん、一通りのことをやったら、どーんとクオリティ高いものを出して、展示スペースでの存在感を示すことになるのだと思います。
それまでに、あそこは展示していないとレッテルを貼られたら、それまでですが。(苦笑)
【アピール】
今の学校では、「見てみてアピール」が強い教員が得をする時代なんだなぁと思います。
反対に、普段の指導を緻密にやる、地道にやる教員は管理職ウケしません。
日常を流して、余力でアドバルーンをあげた人が職員室では評価される傾向にあります。
日常の指導はみんなやって当たり前、プラスアルファで学校に貢献することが大事みたいです。
これは、専門家としての教員よりも、公務員としての教員を強く求めているということでしょう。
学校は子どもの独自の世界を尊重するよりも、公的サービスを提供する場所ということで、子どもよりも大人の事情や価値観が尊重される傾向が強くなってきました。
【時代の流れ】
バブルと福祉の時代は終わり、お金を出しているから成果を出せと公然と言われる時代になりました。私も守られた環境にあぐらをかいて、学校として為すべきことをやってこなかったのでは?と思うことはありますが、なぜこれほどまでに極端に価値観が変わっていったのか…。
そういえば、前前任校のときに、授業だけ見ていた生徒から学校あてに「卒業しました、お世話になりました…」という手紙が届きました。専門家としての教師を守っていた私への評価だと思います。
しかし、これは対外的なアピールにはならない成果です。
現場は、環境の流れに翻弄され、学校しかできないであろう役割を見失いつつあります。これも時代の流れなのでしょう。
https://magomago1.org/411nohopenoplanmakeyounosatisfy202105/
前回は「411)特別支援学校 無難から惰性」でした。