これからの時代を生きていく子どもたちに必要なこととして、自ら学び、自ら考えることを勧めてきました。
学習指導要領では
①生きて働く「知識・技能」
②どうなっているか判断して対応する「思考力・判断力・表現力など」
③どう動くか、どう社会貢献できるか「学びに向かう力、など」
これらについて、どの児童生徒にも指導しなくてはならないとされています。
必要な支援は、釣った魚を与えることでなく、魚の釣り方を教えることであると考えると
①魚の種類や釣れる場所、使う道具に関する知識・使い方を知る。
②釣りたい魚は何か考える、いまいる場所で釣れる魚は何か調べる。
③釣った魚をどうしたいか考えて決める。
こんな感じでしょうか。
①の知識・技能について、根本にあるのは自立活動になると思います。
特別支援学校小学部・中学部学習指導要領解説総則編では「障害が重複している、あるいはその障害が重度であるという理由だけで、各教科等の目標や内容を取り扱うことを全く検討しないまま、安易に自立活動を主とした指導を行うようなことのないように留意しなければならない。」と書かれています。
提示した情報に反応がなかった⇒情報入力が難しい、またはこれを学ぶ段階ではない⇒自立活動の内容ですすめるようにしよう、とすぐにシフトチェンジせずに、よく子どもをみてねということでしょう。実際、スイッチなどの機器を使うと、これまで見られなかった子どもの反応が見られ、これまで側にいた大人の会話をよく理解していたという事例があります。
しかし、反対にいつかできるはずと何年も同じ課題を繰り返して成果がでなかった事例もあります。いずれにしても、進むか退くか決定づける「評価(アセスメント)できる人が現場にいない」ことが課題ではと思っています。「できる」とすれば期待と指導のゴーサインになり、「難しい(できない)」とすればすれ以上の可能性を閉ざすことになります。
【人と物がない】
以前、脳波(?)で重度のお子さんが「こんな刺激に反応しているので、周りのことをよく分かっている」、「本検査から、この子に感じる力があることが分かった」という医師からの検査データと所見をもってこられた保護者がいました。これは「できる」と評価されたパターンです。
ここで考えたのが、学校として学習効果や成果を何で評価するか、学習経過が妥当なものになっているかどこを見たらいいかが難しいところです。脳の電気を撮影する機械は病院でないのでありません。
保護者に準備してくださいとも言えず、とにかく刺激を受けて表出を促すということでスイッチを準備して学習場面で利用しましたが、これという成果は見られませんでした。
やっていることが妥当か分からない。
やったけれど何が身に付いたか見えない。
とにかく手を変え品を変え、一年間取り組んできました。
児童生徒の各教科の内容の習得の状況を把握し、1人1人に各教科の目標及び内容を押さえ、特に必要がある場合には、自立活動に替えていくことになります。それを、誰が替えるのはというと、その切りかえは容易ではありません。まさに、「言うは易し、行うは難し」です。
https://magomago1.org/487otandteacherslicensemakeyourfuturewide202109/
前回は「487)作業療法士協会の協会誌(2021年9月)より」でした。