学校の文化 担任の先生より

500)特別支援学校 メインティーチャーの設定を乗り越えるのはマナー違反か悩む

集団での授業で前に出るのがメインティーチャー(MT)で、児童生徒の横や後方でサポートにまわるのがサブティーチャー(ST)です。MTは前に出て、STにその時々の状況に合わせて指示を出します。

台詞ひとつ、指導の手のかけかたひとつを緻密に計算して、ねらいに沿って授業を進められることが優秀なリーダーだという意見があります。しかし、私はそうは思いません。

少し想像してみたいのですが、子どもが5人、教員等3人が自分の目の前にいて、自分の指示が出るのを待っています。すべてが自分の描いた通りの展開、誰も無駄なことをせず終わりまで想定通りに進みました。どうでしょう?

【専制的なリーダーの欠点】
専制的なリーダーシップをとりたがるMTは、自分の主義主張が正しく、最も効果的な指導ができると自負していると思います。しかし、その主義主張はSTに伝わっているでしょうか。指導は意図してかかわることで効果がでます。(勿論、意図しなかった成果もできることがある)

波風をたてずに、言われたことしかしないSTに、それを引き出す意思が持てるでしょうか。

また、STもまた教員であり、それぞれの価値観や経験則があります。それぞれの教育観もあるでしょう。それを尊重せずに授業を進めることは、独りよがりではと思うのです。

【何がいいと思うのか】
教員集団の専門性と気づきを発揮させるMTは、アドリブが飛び込んできても即時処理ができ、何をする授業か分かり、指導方法でなく流れを作る人だと思います。

MTも神様ではなく、時に間違いや勘違いもあります。その時でも、普段から口を出させない指導をしていると、知っていても言わないSTが続出します。よりよい指導方法に気づいても言ってくれないことはロスだと思うのです。

よりよいSTは、MTのやろうとしていることを察知して、暗黙の了解で物を出したり、児童生徒を誘導できることが大事だと思います。それがMTの意図しなかったものであっても、STの提案がベターなものなら、そっちにシフトチェンジできる関係性が理想だと思います

同じ教員でも力量の差はありますが、どんな人であっても当事者意識を失くさないSTは戦力になります。ただ、越権行為や自己主張でMTの顔をつぶすことは控えたほうが良いと思います。主張の強いSTが物申すと、周囲の人がそっちに流されてしまい、MTの主導権を奪ってしまいます。そうなると、場を仕切られたMTはその後の授業が続けられなくなってしまいます。