医師・介護・看護 学校の文化 担任の先生より 未分類 OT・PT・ST

508)特別支援学校 「大人の支援を減らすこと」を目標にする

できることを増やす、できたと目標の達成が実感でき言語化できること、これらが近年の学校の役割として重視されていることです。子どもの居場所だけでなく、専門的な指導により発達を促す場所として機能することは、教員にとってやりがいであったり重荷であったりします。

そのため、子どもの実態を把握する観点は多いほうがいいし、深いほうが有利です

無駄なく選べ、違っていれば次の手を考えることができ、どこまで達成すればひとまずOKか判断できるからです。その点で、他職種を経験してきた教員は有利だといえます。

【教員の世界でありがちな指導】
教員の世界でよく使われるのが、「段階付け」です。

現状が難しければ、少し介助をいれてできるか、それでも難しければ装具などを活用するか、など児童生徒に求める「質」をコントロールすることで、できること、自分でできることを増やしていこうとする考え方です。

これを聞いて、勘のいい人は気づいていると思います。

もし、機能的にある動作を遂行するために必要なものを持ち併せていなければ、準備できていなければ、いくら丁寧に段階付けをしても、「できない」のです。

【つまずきはどこか】
たとえば、自分でトイレに行くために道順を覚え、ズボンの上げ下ろしもでき、便器に向けて排せつでき、手を洗ってもどる、ここまでできても、注意がそれて気になるものができると、そっちに行ってしまって戻ってこない。

他にも、自分でスプーンをもって、器からこぼさずすくって、口に運ぶことができても、使ったスプーンを咀嚼している間にどうしたらいいか分からず投げてしまう。これは口に運んで飲み込むとは違う別のところに課題があったりします。

熱湯のお湯の中に手を突っ込んで手洗いをしていた。冷たいは何か、ちょうどいいはどこか、熱いはどれくらいか教えても、温冷覚が感覚障害として重度であれば、学習としてあまり効果がないと思われます。ちなみに、学校では感覚の種類にどんなものがあるか、実生活にどんな影響をもたらすかという視点がいまひとつな気がします。指導案を作成するときは、「諸感覚」、「見えている、聞こえている」のように表記され、感覚に関する課題が曖昧であったり、問題はないであろうという解釈で落ち着いていたりします。(そこをツッコむかどうかは、授業の中身を見て考えますが…。)

【段階づけは分かりやすい】
段階付けをすることで、子どもができるために工夫している、考えていることになるので、それについて問題だという気はありません。ただ、ターゲットずれているのに、できるので良しとする、できないから大人が介助して「できた」にしてしまうのは、ちょっと残念です。

そんなケースについて助言するときは、原因として、先生が考えられたAも考えられますが、他にもB、Cなどの見方もできると思います。それらのうち、どれが児童生徒の課題なのか、確かめてみたらヒットするかもしれませんよ。」のように言っています。今の教員の指導を否定しない、他の仮説がたつこと、仮説として複数あることを示します。

もし、自分が答えを分かっていて、原因がBだとしても、それだけ伝えるとどうなるでしょう。
・自分が気づかなかったBだと言う、それは違うとこれまでの指導やかかわりを否定された。
・新しい観点を手にいれた、今後もBかもしれないとみていこう。(他の原因を考える芽が育たない)

があると思うので、少しそのへんに配慮しています。
指導や助言は、教員にできないと思い知らせること、自分の専門性を示すことが目的でなく、教員を育てることなのです。