教員を長くやっていると、「あ、この子、〇年前にみた〇〇くんと全体的に似てるなぁ」、「うちのクラスの〇君、1年生の〇君と一見違うようだけど、こういうところは似てる」などに気づくことがあります。このような特徴をとらえることで分かること、気づくことがあります。
①前に見ていた〇君は、こういう特徴もあったけど、この子はどうだろう?(確かめてみよう)
②前に見ていた〇君は、こういう指導をして良くなったので、やってみよう。
③前に見ていた〇君は、こういう働きかけをしてパニックになった。控えるべきかなぁ。
④前に見ていた〇君は、これを使っていた。今回も使ったらどうなるのかな?
⑤前に見ていた〇君は、こんな子とペアにして体制を組んでいた。同じ方法で指導体制が組めるかな。
⑥この子は、何年か前にA先生が指導した子と似ている。どんな学校生活を送っていたっけ。
経験を積むことで、「こんな子にはこうする」といったノウハウが蓄積されていきます。それらは、多忙で評価(アセスメント)が十分にできない段階のとき、大きな力を発揮します。しかし、これらはあくまで「お試し」であったり、「その場を切り抜ける方法」だったりするので、出会う子どもごとに公式をあてはめるが如く使用するのは「中身のない指導」や「惰性」になります。なので、ノウハウに甘え過ぎないように気をつけています。
【投げ捨てる】
学級内に2人の子どもがいて、それぞれに対する指導をしていたのですが、ある共通した反応が見られました。それは、「投げ捨てる」です。それはとても分かりやすくて、好きなものや興味のあることなら、放っておいてもやっているのですが、何日か傾向を見て「飽きた時」、「分からない時」は投げ捨てることが多いと分かりました。
単に投げ捨てるだけを見ていると、安易なところで結論づけたりします。「あ、これが嫌いなのね」、「物に働きかける手段が少ない」、「投げることで大人の反応を見ている」などの仮説を答えとして認識してしまうことがあります。どれも、それらしい答えですが、とにかくもっと確かめてみることが大事です。
分からない時だと判断すれば、どこが分からないのかなと考え、次は課題の質か量を落として新しい課題を提案します。もし、嫌いだからと思ってしまうと、楽しげに歌を歌ってもりあげて取り組ませようとするかもしれません。実態の把握の仕方で、指導目標や指導方法がガラっと変わります。一つの仮説が真実だとされて指導の中に盛り込まれてしまうと、それが課題として毎年継承されることになります。そうなると、指導する教員も子どもも不幸です。
【投げ捨てたら】
子どもが教材を投げ捨ててしまったとき、次はどうするか考えるとして、その場をどうつなぐか提案します。これもいくつかありますが、どれを選んだとしても、子どもの反応は違うので、きちんとどうだったか頭の中にインプットしておきましょう。
①投げたことは無視して、すぐ次の課題を出す。
②もう一度やってみるよう促す。
③課題のこの部分だけやってみようと、質か量を下げて再提案する。
④投げないよう机の上に固定して、投げる以外の関わり方があるのかみる。
⑤この教材で何をするのか、見本をゆっくり見せる。
準備した教材を投げ捨てられると、正直イラっとすることがあります。そんな時、アンガーマネージメントの手法を使って落ち着かせるもありですが、それはあくまで自己完結の部分であって、子どもの指導には関係ありません。次にどうするか、今回はどうするか、といった手をうたなければ、「何だか分からないけれど、この子はこの課題を投げた」という結果しか残らないのです。
結果を受けて対策をたて、それでも教材や、この教材に付随する観点は受け入れられないんだと一旦退却するか?再度リベンジするか?ですが、そのへんは指導する教員に委ねられていると思います。他にできることを探しにいくもよし、目の前の山を乗り越えることを経験させたいと踏みとどまるもよし、です。