相変わらず、60歳定年退職後のセカンドキャリアのことを考えながら、生活しています。
まだ、先のことだから分からないでしょ、と言われることもありますが、学校や会社、組織などに属する期間が長い状態で、「さぁ、あなたは自由です」と言われる訳でしょ、自分の中の選択肢を増やしておいたほうがいいと思うのです。
図書館で借りた本のなかに、阿部珠恵ら「シェアハウス わたしたちが他人と住む理由」辰巳書店、2012があって、他人と同じ屋根の下で住むなんて、難しくない?と思っていたのですが、封印されていた記憶の中で、それに似た経験がいくつかありました。
【社員寮】
共有する部分は少なかったですが、知った人が同じ屋根の下に存在しているのは似ているかなと。
【学生寮】
風呂、トイレ、洗濯機が共同でしたので、かなりシェアハウスの要素があったなぁと思います。個人的な部分のなかで、どれだけ自分以外の人と共有できるか?という問いがまずあると思うんです。
私は小さいころからすごく保守的で、まくらが変わると眠れない、自宅から出るとピリピリして熟睡できない人でした。そこから、少しずつ慣れていきましたし、自分以外の人と時間や空間を共有することの価値を時間をかけて理解していったんだと思います。
【なんでまた】
持ち家があれば、そこに住むのだと思いますが、そうでなければ賃貸だと思っていましたが、年老いていくと賃貸って、なかなか貸してくれなかったりするんですよね。部屋の中で亡くなったりすると事故物件扱いになって、次のお客さんにつながりにくくなるので、お年寄りは敬遠されがちとのこと。そうなると、老人ホームとかでしょうか?いや、あれこそ他人が大勢いて、介護職の人がバリバリ部屋に入ってくるんでしょ。私、大丈夫だろうかと。
【チャンスがあれば】
まだ、身体が動くうち、仕事をしているうちに、シェアハウスでの生活を経験してみたいです。今の自分はどこまで自分以外の人と共存できるのか、老後の生活の選択肢を増やすことも含めて。今、全国的に教員は不足しているとのこと。定年後に講師登録すれば、どこからか声がかかるでしょう。
60歳以降、どのような生活をするか。もう、質は問いません。質を高められるような能力は前ほどなのを自覚しています。今は持久力とフットワークの良さを鍛える時です。チャンスがあれば、お年寄り同士の話ではなく、自分より若い人の話を聞きながら、老け込まないように自分をキープできたらいいな…。