レギュラーの職員がお休みになったので、他の部署から応援の人がきました。お休みした先生がかかわっている子どもについてもらい、どこで何をするかだけ伝えておけば、無難な方法でそれらをクリアしていきます。
無理はしない
無駄はしない
無謀なチャレンジをしない
子どもに寄り添うように言葉をかける
ケガをさせないかかわり方を知っている
学校で重宝される、応援教員のスキルです。応援に入った学年や学習グループの流れを妨げず、主担任の指導をマウントするようなパフォーマンスをせずに過ごしていきます。
【かかわりの手段、ストレッチ】
給食までの間、子どもを車椅子から床への移動してもらい、体を伸ばすようにしました。その先生は足や手を曲げたり伸ばしたりするストレッチを始めました。特に指示やルーティンではなく、まるでコミュニケーション手段の1つであるかのように行っています。
肢体不自由のクラスでは、子どもに話しかけて、かかわりをもつことが正しくて、側にいるだけで手をかけないことは悪のように見られる傾向があります。間がもたないこともありますが、安全にかかわるスタンダードなストレッチのような手技が学校教育の中でいろいろ作られました。その先生も、やり方を聞いて、それを実践しているとのことでした。
目の前の子どもは、どんな特徴があるかなど、細かい機能面のアセスメントをしている訳ではないようです。ただ、食事の時間がくるまで、それを続けていました。
【手技中心のかかわりについて】
医療的リハビリテーション分野から学校に移ってきた当初は、「目標もなく」、「評価もしないで」、「適当に過ごす」、そんな教室の風景が大嫌いでした。
では、10何年経った今ではどうでしょう?実は、今でもあまり好きではありません。なぜかというと、授業は集団で文化を伝える場面、本当に個別に必要なことをするなら、隙間時間で繰り返し、日常生活動作の中で繰り返しやることが一番で、活動するにしろ、休息させるにしろ、その時間こそ有効に使うべきと思っています。なので、無難にできるストレッチで終わらせてしまうことは勿体ないと思っています。
では、教室でよく行われている手技中心のかかわりは悪なのでしょうか?子どもの体の状態も把握しないまま他動的に手足を動かす、私の価値観からすると「悪」です。しかし、身体の機能・構造が分からない人だからダメ!と子どもたちに触れることを拒絶してしまうと、その子にかかわってくれる人を少なくしてしまいます。
また、人間生きていくなかで、目標なしで、根拠なしで、妥当性なしでやっていることはいくらでもあります。適切な行動基準で子どもを囲ってしまっていいのだろうか?それだけ配慮と緊張感のある生活をずっとフォローしていけるのか?とも考えられるようになりました。
知識や経験がある人ができること、それは、「求めに応じて助言すること」、「かかわりによって事故が起きないように見守ること」、「かかわりやすくする手がかりを与えること」だと思います。