医師・介護・看護 学校の文化 担任の先生より OT・PT・ST

607)特別支援学校 元医療従事者だという看板を捨てない

今は医療職ではなく、学校で働く一職員です。

それはもう、学校に入ってすぐのときは縦割り意識と合理的のようで非効率的な仕事、科学よりも感情論など、あまりの職場環境の違いに頭がおかしくなりそうでした。自分を作りかえ、時には壊しながら、ここまでやってきました。ストレスにしかならない価値観は捨てたほうが自分のためだと言い聞かせたことは、一度や二度ではございません。

それでも、どこか意地なんですね。「意味のある指導を考えず、子どもをいじって一年を終えてはいけない」、ここは譲らないでやってきました。他人や組織は変わらないので、せめて自己完結できることだけでも…と思うようにしています。

【指示と組織的対応】
コロナウィルスがなかなか収まりません。そんななか、組織的対応でこうしましょう、これをしましょうと組織的対応として、様々な指示がおりてきます。

このとき、「ここは締めて、ここはこちらを優先します」ではなく、「この方法を守れ、ここも(矛盾していても)留意するように」だと、どうしても矛盾点は見てみないフリをして、指示されたことだけ守る、指示する側と指示受ける側の馴れ合いのwin-winが成立します。

それが、どうも感染症対策などの医療的な視点からすると、到底受け入れ難いものが含まれるのです。

例えば、「体制が厳しくても協力して指導体制をつくれ(まとまって指導せざるを得ない)、しかし、密を避けて感染症対策をしろ。」などです。

感染対策は指示した。
適性な指導体制をとるように指示した。
以上

みたいな感じです。

【できないものは、できない】
人材も場所も追加投入しないまま、成果と結果だけ求めてくるなんて、なんて無責任なんだろうと思います。

しかし、こちらも児童生徒と、サポートに入るスタッフを抱えているのですから、同じ指示を下ろして知らん顔はできません。何を優先順位の上位にするかというと、この場合感染対策です。

取返しのつかないもの、後で結果責任を問われて、堂々と過失はないことを主張するなら、これをとるしかありません。次に、感染リスクを下げながら、最小限の運用で安全を確保しつつ、指導できる範囲を決めました。

ルーティンの指導を強行して、事故や連携ミスが起きたのを見たことがあります。結果論ですが、「事故が起きるリスクをとってまで、指導をしろとは言ってない。」と他の人は手のひらを返したように言うでしょう。指導は安全を確保したうえで考えることです。マズローの階層を下から見ると、誰でもその意味が分かるでしょう。

それでも、外から見て無責任に「これができていない」と指摘してくる方がいます。そんな方には「すみません」と言う前に、「こういう意図で体制を作っています。応援はありません。今の状況で、どうしたらいいですか?」と聞いてさしあげましょう。担任の先生が真っ当な考えでやっているなら、できもしないことを指示して、指示した責任を負ってまでやらせようという人はいないでしょう。

責任があるから暴走しないのです。何か起きても最善を尽くしたと言えるよう、打てる手を打つのです。医療の専門性は発展的な指導だけでなく、リスクマネージメントでも活かされます。無知であるが故に、安易にリスクを背負わないよう助言・指導することも専門家としての務めです。