ベトナム人の技能実習生さんと課題について、職員さんと話しているうちに、特別支援学校での進路と同じようなことが起きていると感じたので、それについて書いてみます。
彼はまだ若いのですが、日本にはすでに何年もいて、日本語もN3レベルと、よくできます。このN3などは日本語能力試験の段階を言って、ちょうどそろばんの級みたいなもので、数字が大きいところから始まり、1が最もハイクラスです。ちなみに、N3は「日常的な場面で使われる日本語をある程度理解することができる」となっています。
読むことについて
・日常的な話題について書かれた具体的な内容を表す文章を、読んで理解することができる。
・新聞の見出しなどから情報の概要をつかむことができる。
・日常的な場面で目にする難易度がやや高い文章は、言い換え表現が与えられれば、要旨を理解することができる。
聞くことについて
・日常的な場面で、やや自然に近いスピードのまとまりのある会話を聞いて、話の具体的な内容を登場人物の関係などをあわせてほぼ理解できる。
ということで、ただ流暢に話せるだけでなく、その裏にある日本の文化や日常的な風景を頭に思い描いて判断できることが求められる段階なのだと感じました。
【課題】
この、比較的よくできる彼が抱える問題は「独りよがり」、「早口」です。
彼はプライドが高く、それまで努力してきたし、うまくやってきたという自負があるのでしょう。
それは内面に持っていていいものであって、それが外に出てくると良い面と悪い面がでてきます。
良く出れば、頼りがいのある人に見えるでしょう。
悪く出れば、差し出がましく、言うことを聞かない、協調性がない、と思われるでしょう。
以前、彼は手作業の仕事をしていて、コミュニケーションを日常的に行う場所ではありませんでした。
しかし、次回、彼が進むのは「介護」の分野です。介護では、利用者さんの様子を見ながら、ゆっくり言葉をかけ、合意を得ながら仕事をすすめることが求められています。それを考えると、かなり改善しないと職場に適応することが難しくなり、孤立してしまうかもしれません。
【特別支援学校でもある】
特別支援学校でも、知的に高い子になると一般就労を求めることがあります。
これまで、特別支援学校という守られたところで、できないことより、できることを積極的に評価される傾向が強く、自分より優れた同級生との差に気づかされたり、複雑な人間関係にもまれたりする経験が乏しいかもしれません。
そのため、特別支援学校の高等部になると、いい意味でも、悪い意味でも自己肯定感や自尊心が強くなっていることがあります。また、周囲の支援を当たり前と捉えているところがあり、時に不遜な態度をとることがあります。
この状態はどこからくるのでしょう?ある技能実習生さんと、等別支援学校の生徒を自分の中で比較してみましたが、周囲の支援はどうだったでしょうか。
本当は良くないことを指導せず、見過ごしてこなかったか?
多くの人の価値観や公共を意識させることができたか?
その子の発達段階をふまえた指導とゴール設定ができていたか?
個性と自主性を重んじるあまり、自律や社会化をおろそかにしてこなかったか?
長年培ってきた国民性や性格もあるので、難しい面があるかもしれません。しかし、どこまでも学校にあるような社会は続かないと考えたほうがいいでしょう。
ただ、序列化する傾向があったり、自閉傾向がある子だったりすると、就職した先の先輩がルールだとスイッチが切り換わって、忠実な部下に変身することもあります。
そんなこともあるので、人を支援するとは難しいと、改めて人を支援することの難しさについて考えさせられました。