担任の先生より

757)特別支援学校 目標に向けて走るのと、並走することを両立させる

個別指導計画を書いていました。

年度末ですし、これまであったことを思い出しながら、教科ごとに目標に掲げていたことに対してどうだったか、象徴的なエピソードを取り上げて、「~することができた。」のようにまとめます。

書いていく中で、年間を通じて伸びたなーと感じたことすべてが、目標をたてて取り組んだことではないと気付くのです。もちろん、多くは「こんな感じになったら」という漠然とした期待感をもって、それに向けてあの手この手をやってきたことの産物だと思いますし、本当に偶然の産物だったというものは、ほんの一部だと思います。

【PLAN-DO-SEE】
「こうなって欲しい、そのためにこれをやる、どうだったか再考する」だと、流れがシンプルで、やるべきことと、みるべきことが明確なので、こうなって欲しいが妥当で、そのために考えた指導方法がまことにもって適切であれば、何らかの成果は期待できるでしょう。

でもね

・立てた目標に目がいきすぎて、その子の成長のすそ野を広げることを忘れてはいませんか?

・できたとふんだことが、その先の人生や生活にどうつながっているか、提案できることはありますか?
・指導をするために費やす時間と機会を確保することが難しくて、イライラしませんか?
・その指導は、だれが継続してやりますか?
・成長過程で見られた副産物的な成長を見落とすことはないですか?
・目標に準じた指導が中心になりすぎて、広めの視野や人間関係の形成などに目を向けることを忘れませんか?
・決めた指導を継続してみて、適切でないと気付いたとき、この指導ではここまでかと気づいたとき、その目標を一旦置いて見直すことができますか?

私自身、40分のリハよりも長い時間と、多い場面設定を与えられていますが、ねらいに合った指導を集中的にやれる機会は一日のなかで、どちらかというと少ないなーと思っています。

それよりも、一緒に行動しながら、これやってみる?これできる?これはどう?イヤなら何がいい?どこまでできる?何が難しい?と対話的に並走しながらつきつめて、積み上げていく指導が多いです。

あまり設定した目標や、観点を決めて指導してしまうと、学校生活が窮屈になってしまいます(お互いに)。

ある程度理想像をイメージすること、何か指導や評価(アセスメント)をしたら意味や価値を言語化して、今後に活かすこと、これらを忘れず、目標に向けて走るのと、並走することを両立させたらいいんじゃないかなーと思います。