特別支援学校では、年に何度か授業参観日が設定されています。このところ、コロナ対応でみなさんマスクをつけているので、日常的に会って話をしている保護者でないと、誰が誰だか分からないことが多いです。
相手が誰であろうと、笑顔や身振りで寄っていけば、フレンドリーに対応してくれると学習した児童生徒は、とにかく廊下を歩く保護者に手を挙げて、握手と求めることに余念がありません。
私も笑顔、親近感、かわいさ、これらは長い人生において、気にかけてもらうため、忘れられずにかかわってものらうために有効な処世術として認識しています。そこだけ取りあげれば、「いい子だね~」になると思うのです。
【指導する】
この子が保護者に惹かれているとき、どんな状況だったのかというと、小集団でトイレに向かっているときでした。「トイレに行って用をたす」という課題をほったらかしたということになります。また、学校生活の基本的な過ごし方について助言している人の言うことを聞かなかったことになりますし、周囲の友達をその先待たせることにもつながります。
自分の欲求を優先して、普段一緒に生活している人をおろそかにしていいのだろうかと思いました。それがまだ理解できないようであれば、過度な要求になるので相応の対応をするのですが、分かるであろう児童生徒でしたし、できるであろうことに取り組ませないこと、自分勝手を許してしまうことは、教員として怠慢だと思いました。
保護者が離席したあと、その子は教員のもとに帰ってきて、楽しかった、また自分がどうしたらいいか示してくださいといった感じで甘えてきました。それに対して、「自分勝手にしたいんだったら、どうぞ自分でやってください。」と突き放しました。ここで、その子の表情がこわばったのですが、妥協はしませんでした。
甘えて、お願いすれば教員は何をしても、最後は許してもらえるものだと思わせてはいけない。
けじめをつけないことを簡単に容認したりしない。
これが私の答えで、最後には折れる、ということはしませんでした。
【トドメの一手】
その日、私は外来診察を受けることになっていたので、下校時間前に退勤することになっていました。そのため、同じ学年の先生に、「まごいち先生は、〇〇さんが何をやってねと言っても聞いてくれなかった、悲しくて帰ってしまったよ」と伝えてもらうようにしました。
それを聞いて、そうして私の姿が本当に見えなくなったことで、動揺して泣いてしまったそうです。
今はまだ理解できないことかもしれません。しかし、何もしなければ頭に残ることはありませんし、気づきにもなりません。「何をしたら、こうなった」という、先を見通して自制することは人生において必要な流れだと思います。それらを生活のなかで経験的に学んでいく、学校とはそういうところだと思うのです。