先日の遠足で、写真撮影は大変だったなぁ…と思い返しつつ
撮ったものをどうするかというと、カメラからデータを学校のサーバーの中に移します。移してから、写真などを保存するフォルダがあるので、そこに格納して終わりです。
格納した写真をどうするかというと、これは学校や学部ごとに微妙に違うのですが、学年通信みたいなものに毎月掲載する、学期末に学年だより特集号みたいなものに掲載する、卒業アルバムに学年ごとにまとめて掲載する、などです。
これらの仕事(?)についてよく考えると、職務命令でも何でもないんですね。それでも、学部や学年の約束事としてマニュアル化されていて、卒業アルバムに関するもの予算化されています。
こういった、現場で慣例となっているものについて、「保護者が喜んでいます」、「保護者が期待していますので…お願いします」などのような善意や感情に訴えることで維持されています。単なる教員の自主的な仕事と職務の境界線がありません。
昨今の風潮をふまえつつ、保護者や子どもが喜ぶことは、いいこと。
保護者の期待に沿う活動を削減する主張は、悪いこと
今回の遠足では、こんな機会に写真撮影をやっておかなきゃ、と言いながら指導体制の穴やリスクを容認していました。このような感情労働について、保護者は本当にそこまで望んでいるのだろうか?と思います。