今日、初任の先生のプチ研究授業があり、その反省会がありました(15分だけ)
そこで挙がった意見は、以下のようなものでした。
・まずは始めにやってみた。そのなかで分かったことを整理してみよう。
・やってみて、違和感があったことは何か。原因について考えよう。
・やっている活動について、子どもが関心をもってやろうとするものだったか。
・次はどうしようと決まったら、それを指導案に盛り込み、次に何を確かめたいか確認しましょう。
大枠こんなところを中心に話が進みました。
はじめから「ピタリとはまる」「次への可能性が見える」、そんな授業は、なかなかできるものではありません。ただ、知識や技術や経験でもって、モヤついたときの対応力、授業がドン詰まったときの対応力、多くの観点で物事をみる力、これだというツボを探り当てる力、そういったものが「指導力」につながるんだろうなと思います。
【臨床実習】
リハビリの臨床実習で、こんなことを言われたことがあります。
「文章量が多い」
医療や学校教育のなかで得てきた経験をもとに考えると、「対象者の方の大枠を示しながら、ここにアプローチするんだというポイントと、それを支える論拠を示せば、そんなにボリューミーにならんでしょ」ということだと思います。
ちょっと、今の自分が、昔の自分をフォローしてみます。
★対象者さんのことを幅広くみて、その中でこれを選んだんです、と経緯を丁寧に説明しようとしてたんじゃないか。ケースレポートは報告書であって、やったことを書いて、頭の中を整理する過程を語る場ではないと思うのですが、まずは見たものを書くので、それでもってどうしたらいいか教えてほしかったのではないかと思います。
たぶん、優先順位のつけ方や、評価(みたことや確かめたこと)をどう方向づけて表現するか、その病院などの施設や、その職につく人がアプローチすることを求められているもの、このあたりを一緒に考えればよかったのではと思います。
★作業療法は曖昧で、柔軟で、多様であるが故に、対象者の方にとって自分は何ができるか示すことが難しい。拡散しがちな情報をいかにまとめて取捨選択するかは、何年臨床をやっても、経験を積んでも難しいです。実習生が見ているものは何なのか、頭の中はどうなっているのか、推察しながら、頭の整理の仕方を学んでもらう。
【気づいたこと】
多くの情報をまとめることは難しいことです。まだ情報の処理方法が分からず、治療や指導に関する技術などがそろっていない段階では、「短くすることは難しくて力量が問われる」ではなくて、まずは何か一つに(少なく)していい、という安心感が勝るかもしれないと思いました。
たとえそれが視野が狭いと感じさせるものであったり、選択を間違えているんじゃない?と思わせるものだったとしても、です。
習熟度によって停滞の仕方が違っていて、成長につながるツボは違うとするならば、指導する年長者も型にとらわれずに一緒に考えないといけないのかなと思いました。