学校の文化 担任の先生より

844)特別支援学校 人材育成

最近、児童生徒の実態の割に、学級数の割に、担当する学年の教員が少ない。

もともと子どもの実態の割に戦力が整っていないと思っていましたが、いろんな理由でお休みする教員がポツポツでてきて、リスクマネージメント的に、個別最適・個に応じた指導と言う割に、支援の目と手が行き届いていません。指導というより、抱え込んで一日を過ごさせる日が多いと感じるようになっています。

やりたい指導ができない
ピンポイントの指導を入れることを捨てざるを得ない
評価(アセスメント)を場面ごとに入れる機会がもてない
子どもの実態が多様なため、抱え込むことでいっぱい

私には、今年度このような心理的負荷がかかっている、と思われます。

【人によって違う】
一方、初任や教員になって数年の人が感じていること。

1人で学級を抱えることになり、周りを見ながら一日を終えることに必死。
自分のしていること、考えていることが教員としてどうなのか分からないし、自分の基準がつくれない。
周囲の教員は何を規準にして、どんな価値基準で動いているか分からない。
自分の学級の児童生徒に対して他の教員がどうかかわっているかを見て、学ぶ・気づく機会がもてない。
同時にこなすタスクが多すぎて、やることにモレがあるかどうか確認が行き届かない。
たまに指導する立場の教員が支援(?)に来るが、こうすべき、できていないと指摘だけして去っていく。
どこに力を入れて、どこで平穏さを求める(抜く)か分からず、息切れする。
何を、どこまですればいいのか分からず、やっていることに自信や確信がもてない。

何人かの若手と言われる先生の愚痴を聞いていますが、みなさん、上記のようなことを感じているみたいです。

【何でも経験だよ】
教育に正解はない
やってみないと分からない
とにかくやってみな

よく聞かれる言葉ですが、熟達していまいと、知識や技術が十分でなくても、とりあえず自分の指導のスタイルをもっている人ならば、本当にやってみることによって、少しずつ運用できる枠組みを作っていくことができます。

しかし、自分の枠やスタイルが決まっていない人には、「やってみな」はとても無責任な言葉だと感じてしまいます。(ここは自分で踏みとどまることが必要だと感じた時は、突き放す意味で言っちゃうことはありますが。)

誰しもはじめはゼロから始まりますし、昔のように指導方法を聞いて、試して、実践することで評価される指導は年々通用しなくなってきています。(職場環境や子どもの指導、保護者対応で配慮することが多すぎる)なので、万事、言われたことをすれば分かる、経験すれば分かるはマズいと思っています。

指導の質(濃さ)にかかわらず、今はどんな状況で、どのように過ごさせるか判断して、どんな選択肢(指導方法)を選んでいくか、適宜情報を入れて、確認して、やってみる経験が新人には必要です。

指導の意味付けや価値づけを支援する教員が、手元の指導と穴埋めに追われている状況、見かけは一生懸命に学年をまわしているように見えますが、次年度以降の種まきや芽を育てることができていません。