担任の先生より

856)特別支援学校 交流してみた

昨日書いたブログの続編です。

さて、実際の交流会はどうなったかですが、いろいろ課題があると思いました。

【情報交換の少なさ】
おそらく、特別支援学校には何クラスあるので、通常学級の児童生徒は〇グループに分かれるようにしなければならないという段取りがあると思います。また、特別支援学校への往復時間はどれくらいで、実際に活動する時間はどれくらい、という計算もあると思います。

ところが、どんな児童生徒が特別支援学校にいるのか、がほとんど謎だと思います。活動を準備するといっても、何ができないか、何ができるか分からない相手に、どんな配慮が要るのでしょう?

そこで考えられるのは、低く見積もりすぎて、ゲームなどの活動がすぐに終わってしまうこと、高く見積もりすぎて時間が足りないということが起こります。今回は、早く終わってしまい、設定された枠に大幅に届かない事態になりました。

【役割分担の曖昧さ】
通常学級の児童生徒さんは、ゲームなどの活動を用意し、役割分担をある程度決めてこられますが、困ったら特別支援学校の先生がいるのでフォローしてもらえる、ということに期待しすぎだと感じました。

司会を設定しているので、会の始まりをお願いすると、いきなりゲームの解説から始まったりすることがあります。自分たちが作ったゲームを理解してもらおうという準備だと思いますが、司会とはこれから始まることの予告、双方の自己紹介などを経ながら進めていくものだと思うのですが、行った先で子ども立ちが右往左往しないよう、基本的なおさえておくべきポイントを共有できなかったのかなと思いました。

たとえば

並び方の設定

時間配分

自己紹介の進め方

ゲームの進め方

活動が終わったらどうするか(集合時間や場所など)

展開と内容が行き当たりばったりだったので、物品の補充、口頭でのフォロー、出し物の追加や調整と、ちょっと特別支援学校側の教員にお任せ過ぎてないかい…?と感じました。特別支援が校の教員は、誰しもこのようなイレギュラーな場をうまく調整できるかといえば、必ずしもそうでもないと思います。

経験が浅い先生、元来このような場を臨機応変にデザインすることが苦手な先生もいます。彼らには、暗に機能不全に陥らないよう、フォローが入るのですが、万能ではないと思います。

【それでも】
それでも、その場で何が足りなかったか、やってみて気がつくことができます。困ったときにどうするか、その場で考える機会になります。

よく自閉症の児童生徒に対しては、見通しがもてるように明確に、順序よくと言われますが、万事それで流すことができるとも限りません。その場で知恵を絞って、形あるものを出して、一緒になって乗り切る経験は、とても貴重だと思うのです。