どれくらいやればいいんですか?と聞いて、「だいたい、これくらい」、「ちょっとでいい」などと答えられたら、どうでしょう?
多くは以下のような二つに分かれると思います。
「何グラムとか、何回とか、何個とか、はっきりした基準を示してもらわないと困る」という人と、「あくまで主観でやっていいんだ、わかりましたー」と自分なりにやってしまう人、ではないでしょうか。
学校内では、間違いがないよう、トラブルがないようにと何をどうする、いつまでに提出する、など明確にルールが提示されることが多いです。これによって、対応がバラバラになったり、忘れられてしまうといったエラ-が起きたりしないよう配慮しているのです。
【杓子定規】
ところが、決めたルールにこだわり過ぎると、うまくいかないのが人間社会です。赤信号はわたってはいけませんが、倒れているお年寄りなどが倒れていたらどうしますか?
「私は、法令順守をモットーに生きています。どんな理由があろうとも、赤信号で渡ったりしません」と言うでしょうか?それとも、「ルールを守ることは大事だけれど、人命には代えられない」と救助に向かうでしょうか?
赤信号のときは、車がどんどん走っているので、助けに行って共倒れになったりしてはいけないと思いますが、考え方や対応について、いろいろな意見がでるところだと思います。
【エピソード】
先日、給食の一部の食器を調理室から出してもらえないことがありました。給食をとりにいった先生は、結局それらを受け取ることができず、門前払いを食った形になりました。
なぜ?と後で確認したら、食器一覧の表への記載ミスで、「数字(数)が消えていたから、希望がでていないと判断した」、とのこと。
数字で判断し、行動することはブレないし、一貫性があるといえます。しかし、ヒューマンエラーや状況の変化は起こりえることです。
例えば、決まった材料で、決まった手順で調理し、決まった分量を分けたとします。ところが、調理員さんが食缶を落としてしまい、学年に配るはずのおかずを一品ロスしてしまいました。
普段なら、教員の分はさておき、児童生徒が食べる分に支障がでてはいけないと、全校調整や学部内調整をするのですが、「当初から人数は正しく出していますし、給食の数が足りないなんて通用しない、どんな手を使ってでも、決められた分量を用意してください」と頑なに主張したらどうでしょう?
場合にもよりますが、大事なことは対話と機転を利かせた対応だと思うのです。数字を絶対のルールにしたら、そりゃ、うまくいきません。