主担任が、その日不在でした。
教員も人間で、熱を出す日はありますし、研修や出張で学校に来ない日もあります。
学級には教員が二人、私自身は前に出ず、担任の先生が旗印になるよう動いてきましたが、その先生が出張に出たのです。そうなると、私が学級の動きを決めることになるのですが、子どもたちは「何をする」について把握できているようですが、「どの程度勝手が許されるか」について、いろいろ試してきました。
わざと余計なことをして、脱線してみせる
動かないでいれば、声をかけてくるか、サポートが入るか様子をみる
言うことを聞かない
それだけのことをする児童生徒の場合、「こうしたら教員は怒ってくるか」、「手詰まりになったら、手助けにはいってくるものさ」、「こうしたら、こんな感じになる」というように、予見すること、見通しをもつこと、検証できるくらいの認知があるということです。
中途半端にイライラしたり、授業などが進むようどんどん手伝ってしまうと、思うツボです。主担人がいなければ、好きにしていいと学習するかもしれません。主担任以外は甘い顔をするから手玉にとればいいと決めてかかるかもしれません。
熱意をもって、丁寧に説明すれば分かってくれる、というのは正論ですが、目の前にいる一部の児童生徒はそうではありませんでした。
【どう対応したか】
教員の指導について、フォーマルなものが通用しない場合、経験と状況判断能力を駆使して対応することになります。
・身体接触を避けつつ、一喝する:動きを止めます。ふざけるあまり、接触事故や転落などを割けます。
・迷わない:今はこれをするとき、次はこれをする、と主導権をもつ
・できたことを随時言葉に出し、認める、褒める、違うことは違うと伝える。
・ついてこなければ、置いていかれるという危機感をもたせ、ダラダラと待たない。
・はじめと終わりを明確にして、集中しどころを示す。
常に誉めればいいという訳でなく、どんな児童生徒で、どんな状況で、どのタイミングで誉めるか、褒めないか判断します。誉めればテンションがあがります。上がりっぱなしで期待しすぎると、クールダウンしかけたときに暴走することがあります。
どのように着地して、着地してから何を始めるか、そこを考えながら場に応じて取捨選択を繰り返します。
普段とは違う時こそ、落ち着きどころを定めるためにエネルギーを使いますが、普段は一定のリズムで、一定のペースでひとつずつやっていくので、それほどの緊張感はありません。教員も児童生徒も、不安定な環境が続くと、疲れてしまいます。落ち着いた中で、適宜必要な刺激をポン、ポンといれていく、そこが学校生活をつくるなかで面白いところであり、難しいところだと思います。