学級に、1つひとつ丁寧に、自分のペースで、決まった順番に進められる児童生徒がいます。
手順を守り、間違いなく、順番に…はその子なりに、できることをやっているということで、一個人として問題がないように見えます。生活の仕方を習得し、実行できていると評価できます。
ところが、この子が学級集団のなかで、社会生活を送るようになると、ちょっと困ったことがあります。
学校は幸か不幸か、時間割というものがあって、授業や活動ごとに場所を移動し、節目を確認しながら進みます。これによって、多少見通しがもてなくても、目の前にあることについてどうするか分かります。(そのうち、二つ以上先の予定もふまえる子どももでてきます)
また、授業は5年3組(例)だけで一日を過ごすのではなく、習熟度別になったり、5年生全体だったりするので、学級を越えた教員間の連携も欠かせません。
そんななかで、マイペースを貫かれると、学級経営する立場からして厳しい…。
【待つ】
その子なりに、できることを最後までやることで達成感が得られるでしょうし、順番にタスクをこなすことで落ち着いて過ごせるでしょう。ただ、他の学級との足並みがそろわず、学級内で個別に逸脱することがあっても問題ないんだという雰囲気をつくってしまう、みんなで生活しているという価値観が得られにくい。
教員一人のときは、なんとか場を誤魔化すことができるかもしれないが、複数の教員がいたとき、何を大事にして指導しているか示せないと、待たせる、待たされる子どもに対してどのような指導をしているのか見られています。
【待たない】
「待つ」と反対になりますが、待たせてしまいがちな児童生徒のルーティンと、できることをする機会が損なわれ、教員自身も「できることをさせていない」からくるジレンマに苛まれます。
子どもによっては、自分のペースが乱されると、大暴れすることもあるので、集団生活をどうすすめるか悩ましいところです。
【両立は難しいよ】
安定的に学校生活のタスクをすすめること、個別最適をもとめるところと、それらが共存しにくい場面は多々あります。教員がどれをとっても、何を捨てても、その判断を責められない環境であったらと思います。
多種多様な課題やニーズをもった子どもたちが、適正な枠(時間割やルール)のなかで、みんなが満足できる形で過ごす、というのは理想としてあっても、実際は無理です。
ある部分は納得させ、我慢し、ちょっとずつ折り合いをつけながら生活するものだと思います。大人も、子どもも、みんなそうだと思います。(それを画一的だ、配慮できていないとネットニュースで責められているのにうんざりしている)
昨今、「子どもが大事」が強調され過ぎていて、過剰に大事にするかと思いきや、そこから逸脱したようなケースでは途端に無責任や無機質な対応になっていることもあり、極端な世の中だなと感じることもあります。
「スッキリいくもんじゃない、ここは先生の言うことを聞いておきな」があった昔は良かったな…と思いつつ、週末一人でコーヒーを飲んでおります。