担任の先生より

1104)特別支援学校 困った人

午後6時半ごろ、人が少なくなった職員室で話をしていました。

それは、子どもと対話できない先生をどうするか、周囲にいる先生の指導を見ているはずなのに吸収しようとしないのはどういうことか、についてでした。

機械系や文書系には反応し、「私、できます」をアピールするのですが、朝の会や帰りの会のMTができない、日常生活動作の指導ができない、などがあり、主担任の先生が疲弊してきました。

私には結論がでていて、「現状に疑問や不安も抱いていない人の成長を期待することより、今いる大きな歯車をツブさないことが先決だ」と考えています。

教員の同僚性やOJT、組織に対する見方や考え方は様々で、立ち位置によっても異なると思います。もちろん、組織全体の能力の底上げや、主担人ができる人材を増やすこと、負荷が特定の教員に偏らないことが必要なことは理解できます。それが実現すれば、目の前にある課題も軽減または解決すると言えるでしょう。

しかし、毎日の指導のなかで、主担人は複数の児童生徒の指導や段取り、準備等で気を配っているだけでなく、一緒にいる先生の力量をふまえて仕事を分配し、必要に応じてフォローすることも並行して行っています。

当の品人が変わらなければ、主担人の負荷はかかり続けることになります。いつまでも、見込みがあるかどうか分からないものを待てない、ということです。その前に、主担が倒れてしまったら、それこそ学年や学部は埋められない穴とダメージを抱えてしまうことになります。

主担は、指導そのものだけでなく、自分の指導力を活かす、児童生徒に質の高い指導をする機会を奪われているかもしれません。どちらかというと、仕事そのものの負荷よりも、こっちのほうがキツいのではと思えるフシがあります。それだけに、思う指導ができる少しの時間だけでもサポートして、作っていくことが大事なんじゃないかと思っています。

そのため、自分の学級の子どもたちにじっくりつくることは少し減らして、隣近所の学級が円滑にまわるために手を入れる時間を増やしています。

どんな状態であれ、まだ4月ですし、あと11か月ほど止まらず、コケずに走り続けなければなりません。