保護者からの希望のなかで、「主体的に〇〇できるようになれば…」のような文言が見られることがあります。
これは、「~できるようになって欲しい」と大きく変わらないと思いつつ、児童生徒の様子、できる・しているのギャップ、生活のなかで必要とされるタスクについて考えながら、中長期的なゴールと、いまの落としどころを決める必要があります。
【主体的に…をどう考えるか】
定義などはさておいて、学校生活のなかでよく見られる主体性について、ざっと3つほどあると思います。
1つ目:自分で判断して、言われなくても自分のことや学習課題が遂行できる
いわゆる、手がかからない子で、予定表やカードなどを用意しておけばできる、みたいなこと。支援無くても自分でできる、ひと昔前の「自立」です。
2つ目:枠組みの中で、または適宜指示があればそれに応じて自分でタスクをこなせる児童生徒です。一部であれ、全部であれ、できることがあるのは良いことだと思います。学校では集団生活を送るので、これができる子が理想的だと思われがちです。(いいか悪いかは、分かりませんが)
3つ目:自分がルールのように、独断でやりたいことをする主体性(ワガママ?)です。自分の意思や欲求があるのは良いことですが、社会性を考えると、ちょっと困ります。
【保護者のいう主体性について考える】
まさかと思いますが、3つ目ではないでしょう。
1つ目を希望されている場合、高望みすぎるのか、今がとても手がかかるのでなんとかして欲しいのか、進路を考えて学校生活という集団の場でできることを増やしておきたい、などが考えられます。
2つ目の場合は、促しによって応じるような円滑さを求めている、できることを増やしたい、環境からの刺激が多くて自分の中にこもるので、そこから出て生活できるようになって欲しい、などなど。ここが一番真意を読み取りにくいところです。
ニードの真意はともかく、学校ではそれをふまえながら、今のマンパワーを含む環境面をふまえて、できる切り口やできる指導内容を考えます。そこで提案できるものが、学校として目指せる目標であり、指導内容と言えると思います。
個別最適はあるのですが、それを意識しすぎるあまり、他の教員や児童生徒に負荷をかけたり、同級生を必要以上に待たせたりすることは、したくありません。
【年齢】
今回、意識したのが「年齢」でした。
高等部にもなれば、それだけの経験を積んできており、「好き・嫌い」、「できること、難しいこと」、「瞬間頑張ってできること」。「持続できるにはどれくらいのペース配分でいけばいいか」などが分かってきていると思います。
しかし、今回話題にあがったのは小学部低学年の児童です。まだ、経験は少なく、何をするにも不安が多く、先があるので無理に引き上げることもない、と思いました。
そのため、私たちにできることは日々の学習のなかで数多い経験を積むこと、できる・できないを知ること、好き・嫌いを知ること、分かってできることを増やしたり定着させたりすることが先決だと考え、それをふまえて学校からの提案や方針を決めていきたいと思いました。