担任の先生より

1128)特別支援学校 職場をよくする

ワンピース(マンガ)に出てくる、女帝みたいな人が、他者に厳しいという話がでていまいした。

へー、それだけのことができる立場や力があるんだなと思いつつ、決定は個人の価値観や感情に委ねられるので、視野が狭くなる、ある部分で間違いやリスクがあっても見過ごされる、一部または多数の人の価値観に合わない、といったことが起こりがちだと思います。

そりゃ、みんなが、それはいい!やろう!と思えるような、方針が出せればいいんでしょうが…。

【最近思うこと】
いつからか

自分がやろう!
いいものを示そう!
納得できるものを残そう!

という自分軸の目標や方向性を打ち出すことが減ったな…と思います。

学校って、人材は流動的ですし、決まったルールは引き継がれ、それらが毎年確認されるのですが、技術や指導の経過や結果って、なかなか残りません。配慮や工夫、経過は次の先生の価値観や力量によってリセットされますし、成果が定着したものでないと活用されにくいです。

なので、細やかな指導方法を設定し、学校生活を戦略的にデザインしようと、前ほど思わなくなりました。

最近、今いる(身近)な教員が落ち着いて日々過ごせること、そうなるためにどうするか考えて行動することを重視するようになりました。

具体的なターゲットや主軸を設定しないことで、思い通りに進まないときもイライラしなくなってきましたし、周囲の人の動きを見て対応して、それをうまく使えなかった先生について、自分の中で「残念でしたね」で済ませられるようになりました。

学校は均質的な部分と、多様な部分が混在する場所なので、型や目標などを緻密に、高く設定するとタスクが増える割に成果がでないことが多いと感じます。近年、成果主義的な評価が強くなってきましたが、組織運営や人・カネの使い方がそれに応じていません。そうすると、目標や成果のために、過剰な個人の努力に依存します。真面目に取り組むほど残業が増え、負荷が上がり、心身ともに疲れてくるのは、これも原因の一つじゃないかなと思うんです。

だから、私も「静かな退職」ではないですが、具体的な「かくあるべし」にとらわれずにいたいです。