医師・介護・看護 担任の先生より

1144)特別支援学校 摂食指導の研修会

摂食指導の指導、それは自分が逃げ回っていたもの1つです。

いや、日常生活の指導として、どの学校に行っても当たり前のようにあるものなのに、おかしいと思われるかもしれません。(というか、思うはず)

それにはいくつか理由があり、児童生徒というより、昨今「教員の日常を支援する」をテーマをもっている自分にとっては、「やりたくない」案件になるのです。その理由というのは…深く考えたことがないので、ここで考えてみます。

【やりたくない理由】
・児童生徒の実態把握(評価)に集中して妥協のない科学を求めることになり、今ある教員の状況や保護者の要望、他の教員の指導観などの「環境面」が軽視されがちになる。

・指導が細かくなることで、「他の教員等に委ねられない、指導が難しい子」を作ってしまう可能性がある。

・担任の先生は個別についていても、他の子どもも同時に見ている。摂食指導のために個別についているからといって、注意を目の前の子どもに全振りできないことを軽視しがちになる。

・日常的に指導している教員の力量を批判や否定することにつながる可能性がある。

・前任者からの指導方法を「何だか変だな」と思いつつ継続していて、外部から批判を浴びると「自分が設定した指導じゃないのに、自分が批判されるのか…とモチベーションが下がる。

「だけど、子供のためだから、よりよい指導のためには当たり前じゃん!」と思うかもしれません。

それはその通りですが、私はそうは思えないのです。なぜなら、様々な指導上の責任を負い、やりたいけれどやれないジレンマを抱え、専門性を高めても実際の指導に活かせない場面が多々ある、という先生を多く見てきたからです。

なので、「子供のための最高の指導」よりも、「いかに自信をもって指導や仕事ができる教員を増やすか」を重視している私にとって、「日常を安全に過ごせる、複数の人が無理なく共有できる形」を求めます。

【エピソード】
もう、10年以上前の話になります。口はうまいが、子供に合った指導ができない(しない?)先生がいて、「あの指導はちょっとなぁ…」と周囲の人が思っていました。そんなとき、その先生が担当する児童生徒の摂食について、摂食を専門とする医師にみてもらうことになりました。

「さぁ、適当なことをしているのを、どうやってごまかすのかな」

「はっきり言われて、やりこめられたら、いい薬になる」

みたいなことを周囲の先生が言っていたのを覚えています。かく言う自分も、その先生の日常的な指導に疑問を抱くことが多かったので、否定はしませんでした。

「今度、摂食の様子を見に行くから」と伝えたら、その先生は抵抗感を示して、「そんなに見られたら、気になって指導できないじゃないか」と言っていたそうです。自信があろうとなかろうと、他人から見られるのは気持ちいいもんじゃないって人は多いんじゃないかと思います。現行の指導は自分の力量と環境と目標設定の産物なので、肯定はあっても、否定や批判は受け付け難いのは理解できます。

それ以降、その先生は医師などの専門家が嫌いになってしまいました。

【今回、なぜ受けたか】
大きな理由は、担任の先生が研修会の話題提供で自分の指導を公開することになった、どうしましょうという依頼がきたからです。

担任のニーズがあること、研修会という逃げられないタスクを無事にクリアしたい気持ちは分かる、からです。

話しを聞いて、久しぶりに摂食指導に関する本や研修会資料に目を通しました。研修会は聞きにきた人が全部、またはほんの一部でも、次につながる情報を持ち帰ってもらわなければ意味がないと思っています。

普段やっている指導を科学すること、専門性をもって説明すること、それで終わらせると、「難しい他人事を聞かされた」「自分には関係がない」と思われてしまいます。

大事なことは、研修で紹介するケースの状況を把握して、基本的な指導の考え方を堅実におさえて、その中で誰もが日常感じているであろうキーワードを大事にすることだと思うのです。だから、何回も資料や本を読み、

どれをすくいあげたら、聞いている人が食いつくのか考えるのです。