こんにちは、雑賀孫市です。
今回は、特別支援学校に入っているOT・PT・ST等の外部専門家は 教員から求められているのか、という点について書いていきます。
※OT・PT・ST=作業療法士・理学療法士・言語聴覚士
先日、某特別支援学校で行われた公開研究会のシンポジウムで話されたことですが、 外部専門家として気を付けていることについて以下のような意見が出されました。
・教員と伴走するつもりで、寄り添う支援
・学校で行われている実践について、専門家として学術的意味づけを行う
これは外部専門家の視点から、必要なことはこれだと考えられたということです。 では、これは特別支援学校教員のニードに合致しているのかといえば…。
合っています。 でもちょっと違う…。
簡単にいうと、教員が総じて外部専門家にニードを感じている訳ではないし、支援を求めたいと感じるタイミングがあって、それを外すと「まぁいいか」になる場合もあるということに起因しています。
武田(2006)は教員の行き詰まりについて、4つのタイプに分類しています。
これに、私は行き詰まりtype1-を加えてみたいと思います。
Type1-:「問題は分かっているが、その原因についてうまく言語化できず、解決・改善策を考えるところまで到達できていない」
これらの図を見ると、教員は児童・生徒を支援する存在で、連携ありきの視点で書かれています。
しかし、近年、教員は授業準備に時間が割けず、分掌などの授業外の仕事に追われている、などが話題になっています。
このことから、「組織人」、「公務員」、「労働者」、「教員」としての教員の顔も加味する必要があると思います。
①組織人としての教員
児童・生徒の指導は教職員間の共通認識と協力で成り立っているとされている。
指導方針を変更することは、教員間の人間関係に緊張感をもたらし、確執を生むことがある。
また、指導方針の変更に伴う新たな負担感は、相談をした教員にかかることが多い。
②公務員としての教員
外部専門家の予算は都道府県等からでている。そのため、ニードの有無にかかわらず、連携することが 仕事になっている場合がある。
相談を受けたからには、とにかく実行しなければならないのか、という負担感につながることもある。
できて当たり前、という価値観に縛られているので仕事への承認が得られず、教員自身がやっていることの価値を言語化できないために、自尊心がなかなか高まらない。
③労働者としての教員
教員は多忙であると言われており、授業準備以外の仕事も多く、外部専門家の意見を取り入れるところまで準備や根回しが行き届かないことがある。
④教員としての教員
教員養成課程では、外部専門家と対話するだけの医学的知識等が得られていない。
そのため、児童・生徒に関する困り感を言語化することができないことがある。
難しい問題を丸ごと受け止めるのが教員の仕事だと抱え込んでいる場合もある。
【最後に】
特別支援学校教員と、外部専門家が向き合うとき、「子供のために」が共通のキーワードとして話が進みます。
もし、両者が専門家であったなら、それに向けて指導を工夫し、環境を改善する方向で動くでしょう。しかし、うまく教員との連携が進まないのはなぜか。
それは、よく「学校の文化」とくくられますが、向き合っている教員を形作る
上記の①~④のような顔があることを置き去りにしているからだと思います。
(①~④は私が勝手に作った分類です)
このことから、外部専門家は対話する教員のICFも考慮したほうがいいのかもしれません。 案外、愚痴を聞いているだけで役に立っていたり、愚痴を言っているうちに先生自身で課題解決の糸口をつかんでしまったりする場合もあります。
その場で答えを出さなければと思わず、まずは、お互い気長に、繰り返し対話できたらなと思います。
https://magomago1.org/assessment-special-education-school/
前回のブログは、「19)特別支援学校で言う「実態把握」とは」でした。観察の重要性が見えてきます。
https://magomago1.org/needstootptst/
次のブログは、「21)元作業療法士の担任が考える、リハの専門性の使い分け」です。
職種ごとの専門性をふまえて、ニードを振り分けることは、まだ難しい状況かと思われます。