こんにちは、雑賀孫市です。
今回は、特別支援教育でよく聞かれる「実態把握」、「実態をふまえて」はどういうことか書いてみます。
【実態把握ってどういうことか】
とりあえず、ベタですが国語辞典で調べてみました。
実態:実際の状態、本当のありさま、実情
把握:しっかりと理解すること
文部科学省、新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議「日本の特別支援教育の状況について」令和元年9月25日を見てみます。
特別支援学校学習指導要領の主な特徴のところで
「学校は、幼児児童生徒の実態把握を基に、個々の幼児児童生徒に必要な項目を選定し、それらを相互に関連付けて具体的な指導内容を設定する。」と書かれていて、以下のような流れが示されています。
また、一人一人に応じた指導の充実として、「子供の障害の状態や特性等を十分考慮し、(中略)障害の特性等に応じた指導上の配慮を充実する」と書かれています。
【ここで、ちょっとひっかかった点】
①実態把握⇒項目選定⇒指導内容と出ていますが
・目標設定はどうするんだろう?決めるまで、ちょっと時間がかかるのですが…。
②学校は集団の中で学びあう場なので、まずは集団でできそうな指導方法を使ってアセスメント(リハでいう評価)をしていくのですが
とにかく実態が捉えきれなくても、毎日授業はあります。
授業を重ねるうちに、教員集団の中で児童生徒のAさん、Bさん像が描かれていきます。 そこに科学的根拠や目標設定ができていなくても、「この子はこういう子だから、〇〇をさせたらいいよ。」、「この子の保護者がこう言っているから、〇〇しましょう」と声があがると、それは教員間の共通認識として確認され、「その子の実態や特性等が考慮された指導と配慮になる」場合があります。
【ICIDHとICF】
指導として妥当性に欠けていても、教員集団が「決めつけてしまった実態」と「過剰な支援でも成立する自立」が先だつことがある原因の一つにICF(国際生活機能分類)があるのではと思います。
子供の学校生活を教員が支援して「できている」、「自立できている」。
「生活環境も含めた、子供をよく分かっている保護者の意見を反映している」。
それの何が悪いんだ、といった雰囲気を作ってしまっていないか。
また、ICIDHで示されていた機能障害の原因は何か、希求することから離れはしないかと危惧しています。
【実態把握、どうするか】
私はどうしたかというと、学校にいる以上個別に評価(アセスメント)することは難しいと分かっています。そのため、順を追って指導の方向性を決めていました。
①まずは、顔と名前を覚え、学級、学年の児童生徒の構成を知る。
②教員集団の力量や特性を意識してみる。
③授業などで、やや過剰に支援しながら、だんだん余計なものを切り落とす。
対象となる児童生徒の集団参加や学習活動の様子をみて、「なんで?」と思ったことを意識して日々かかわる。
④気になったことの原因を探求する視点でみて、能力障害、機能障害への理解へと深く掘り下げる。
⑤仮説も含めて、アプローチ可能で、優先順位が高く、達成できそうな観点を1~3個くらい決める。
⑥学校生活の中で、⑤で決めたことが、どこで、どのように盛り込めるか考え、実施する。
※この時、②が大きく作用します。ダメダメなら、そっちのフォローが優先です。
⑦私自身やりにくい点、妥当性に欠けていそうな点などを改善し、意味がないと感じたら迷わず捨てる。
⑧変化はあるか、具体的な成長はあるか、客観的な視点でみて経過を追う。
一貫性のある、焦点化されたテーマであれば、大体成果がでます。
この流れは肢体不自由特別支援学校でも、知的障害特別支援学校でも同じです。
リハビリテーション技士とは違い、教員は個別対応できる機会が少ないですが、登校から下校までの時間を味方につけられます。
ちなみに、③ができない方は、次につながらないです。
多忙感や、自分がよく知らない、複数の子供をみているので評価(アセスメント)しきれない、などのときは支援にはいってくれるOT・PT・STに④を代行してもらいます。
https://magomago1.org/rennrakutyou2020/
前回のブログは「18)特別支援学校教員と保護者との間で交わされる「連絡帳」について」でした。
https://magomago1.org/arethereneeds2020/
次のブログは「20)特別支援学校教員はリハビリの専門性を求めているか」です。