こんにちは、雑賀孫市です。
今日は、大学院に行ったときのことについて書いてみます。
現職の教員が大学院に行くことの意味や意義などについては、いつか書こうと思うのですが、今回は小話程度で読んで頂ければ幸いです。
【大学院に行く】
私が大学院に行った理由はいくつかあるのですが
特別支援学校に入って、「なんだこれは?」「なぜ、そんな考え方をするんだろう?」などと思うことが多く、学校教育とは何か把握したくなったことが大きいです。
大学院には職業人を育成するというより、学問として学べるので、きっと自分が求める解があると思いました。
私が選んだのは、通信教育部のある大学でした。
働きながら学ぶには、それしか思いつきませんでした。
学費もかかります。できるだけ安価なところと考えました。
(遠隔地の大学でしたが、100万円未満で修了できました。)
【スクーリング】
通信教育部での学習は、テキスト学習と、スクーリング(実際に学びに行く)の二本立てでした。
一つの教科のレポートを書くために比較的近くの大学の図書館まで行き、関連図書を6~7冊借りて言葉の意味を調べ、先行研究を調べ、情報を整理して論じる、というパターンを繰り返していました。
スクーリングは夏と冬に行われますが、冬は週末開講で通えないため、夏に行くことになりました。
当時、学校教育のあり方には批判的な意見をもっていたので、昔ながらの人情を語るようなものは嫌いではないにしろ、実情に合わないと敬遠している向きがありました。
【誕生】
記憶が曖昧なところがあるのですが、スクーリングの二日目だったように思います。
大学に向かうバスの中でメールがありました。
「夜、破水があって、急遽出産することになり、先ほど産まれました。 かわいいから、楽しみにしてね。」と
義理の母からメールがありました。
出産予定は1~2週間先なので、スクーリングが終わる頃になるね、という話だったので、かなり動揺もしましたが、走り始めた講義です。ここでリタイアすると、次にいつになるか分かりません。落ち着かないまま、午前の講義を受けました。
お昼休憩に入ってから、「実は…」と朝に子どもが産まれたことを話していると、講義を担当していた先生が
「君は、この後の講義はいいから、帰りなさい。」
本来、通信教育部の授業はでないと単位がもらえないものです。
この人は一体何を言ってるんだ?とぽかんとしていました。
「私は子供が産まれたときに、外に出ていて帰ることができなかった。今でもそれは自分の中に残っている。やはり、子供が産まれるということは特別なことだ。それに代えられるものはない。だから、午後の講義はいいから、帰りなさい。」
「出席などについては、レポートを課すなどしてなんとかします。」
【帰宅】
状況的に、「いえ、私は残って講義を受けます!」などと、とても言えず、挨拶をして、午後に宿舎に戻ってキャンセルをした後に病院に行きました。
教授が講義の中で言っていた、「命」がそこにありました。
【講義を通して学んだこと】
人としてどうあるべきか考え、行動すること。
経験をもとに、後の世代に伝えることの価値。
変わらないものはない。
感じるものは人それぞれ、それぞれが意味づけと価値づけを行っている。
【追記(Wikipediaより)】
和田 修二(わだ しゅうじ、1932年4月8日[1] – )は、日本の教育学者、 京都大学名誉教授、名古屋女子大学教授。オランダのユトレヒト大学に留学、マルティヌス・ヤン・ランゲフェルドに師事。専門は教育学、教育哲学、教育人間学、臨床教育学。
http://magomago1.org/dietepisodeinaspecialeducation202005/
前回のブログでは、「132)特別支援学校でのダイエットの取り組み」について書きました。
http://magomago1.org/lookingbackthepastdays202005/
次は、「134)特別支援学校小学部1年生だった子の8年後を見て感じたこと」で、過去の指導の妥当性を問われました。