評価(実態把握)ができれば、大ハズレがなく、成果をあげることができます。
しかし、子どもの実態や、その年の教員集団の力量・教育観・人数、学校の物的環境、指導する教員の心身の状態などが影響するので、「これでいこう!」が決まるまで時間がかかります。
学校は新年度すぐにスタートして、決められた時間割にのっとって動いていきます。
「ちょっと評価するまで、すぐにはできない!」
「何が危険か分からない状態で見切り発車なんて、ありえない!」
臨床の中で、緻密にやってきた方はこのへんでエラーが起こります。
真面目な臨床家ほど、不満に感じることの1つではないでしょうか。
多少分からないことがあっても、まずは走らないと分からないことがあります。
何より大人も子どもも含めて初めて集まった集団ですから、できることをやるしかありません。
多様な障害をもつ子どもたちをまとめて、集団として動かす技術はリハビリテーション技士より学校の先生のほうが高いと思います。
動き出しは学校の先生の方が早く、学年や学級としてのまとまりをつくるスピードも学校の先生のほうが早いと思われます。
【指導観、どうなって欲しいか】
知っている指導技術にあてはめていれば事故なく活動できそうだしOKという先生
何をする時間かきちんと考えてやろうよ、という先生
〇〇は、みんなでやったら楽しいよ、という先生
たくさん経験できるようにと、次々に学習内容を工夫して打ち出す先
活動のなかでこんな刺激をいれて、みんなでビックリしてみようよという先生
リハビリテーション技士の考える「子どもにどうなって欲しい」はどちらかというと中長期的な視点になることが多く、共有できる教員は意外と少ないかもしれません。
特別支援教育に入る時、医療職が黒子にならなければいけない理由の一つです。
かといって、専門職の立場から見えるものを放棄すればいいのかというと、そうとも思いません。
専門家には「教員を勇気づける言葉や効果を伝えること」、「何でもOKという訳でない」、「ある程度妥当な目標やテーマをにしぼって、多くを抱え過ぎない」ということを伝えて欲しいと願っています。
あくなき向上は人を疲弊させます。
科学を前進のためだけでなく、足場をつくるために活用すること
「どうなって欲しい」を継続性のあるものにつなげていくこと
これらが教員とリハビリテーション技士が共に学ぶべきテーマなのでは、と考えました。
http://magomago1.org/whatdoyouwantthemtobewhat20200622/
前回は、「172)研究授業で「子どもにどうなって欲しい」か語れるか①」でした。
http://magomago1.org/partnershipmakeusmorebetter202006/
次回は、「174)特別支援学校の中で教員(作業療法士もち)と教員(教員養成課程)が共存する案」です。