始業式、入学式と儀式的行事のあと、各学年で「馴染み」、「慣れる」ための活動や、ガイダンス的な授業のあと、時間割に沿った授業が展開されます。また、授業と授業の間や、給食の前後にある、微妙なすきま時間をどうするか、についても検討されます。
児童生徒の実態や事前情報があれば、多少は身構えて準備できるのですが、その伝え聞いた内容は信じていいのでしょうか?という話です。
引継ぎに際して、系統性や継続性、発展性などについて話されますが、それだけでなはないと思います。
【教材特性】
前年度にやっていた課題には、大なり小なりのストーリーや紆余曲折があったと思います。
なかなか教材を見ない、投げちゃう、口に入れちゃう、つかめない、終われない、やり方を伝えても受け入れない、自由度が高すぎて困惑している、などです。そんなこんなを克服した結果、ある指導方法や教材にたどりついた、みたいな感じです。
手伝いながらでもつけたい力なのか、あくまで一人でできる経験を積ませたいのか、他はやらなくてもここだけ頑張ってくれたらいい、など、教員が「できたらいいな」と考える程度や内容によって、選ばれる教材が違ってきます。(なので、引継ぎと同じ教材がいいとは限らない)
どんな発達段階や特性をもつ児童生徒に対しても、教材そのものがもっている特性を理解する必要があると思います。よく、学習指導を例示した本では、さまざまな活動が紹介されていますが、自分の学級にいる子はできないなぁ…と思うものが多数あると思います。
例えば、片足でジャンプできないよなぁ…とか、何かを想定して、コレをするとか、見通しがたたないだろうな…とかですが、本に書いてある活動の例などを見て、「これ、難しいかな?」と気づけるということは、その活動と、普段見ている児童生徒の特長を把握していて、それを照らし合わせることができている、ということです。
【ブロック】
では、引継ぎで紹介された教材として、ブロックがでてきたらどうでしょう?
よく個別課題やひとり遊びの課題として活用されるものですが、「型通りのものから、自由に作ることまで幅広い課題が提供できる」、「両手動作を促す」、「計画的に」、「順番に」、「数の概念形成の手助けになる」、「ピースを友達同士で分け合う」などの教育的効果が挙げられます。
反面、この教材で気を付けたい点として、「いつ終わるか」がはっきりしないことが挙げられます。
いつやっていいか、どうなったら終わりを意識して片づけられるか。自分の世界にはまってしまって、戻りたがらないときどうするか。区切りをつけないと、次の授業に支障が出てきます。
引継ぎでブロックなどがあったとき、それはその先生との間に、何らかの約束事が成立していたからだと考えます。その約束事は、新しく担任なった先生とも守れるものでしょうか?安易に引き継いだ内容をまねるのは危険です。
長い目で見れば、それも児童生徒を理解するための意味ある出来事です(無意味とは言いません)。しかし、ずっと迷い続けていると、児童生徒も教員も、互いに苦しくなってきます。そのような状況が続かないよう、よく考え、勉強し、他の人(教員や専門家など)と意見交換をして、意味ある紆余曲折や試行錯誤を経て、一本スジが通ったものに軌道修正できればと思います。