学校の文化 担任の先生より

216)聞いた指導方法を再生するだけでは、授業や治療は楽しくないというお話です。

こんにちは、雑賀孫市です。
今日は、先輩から教わったやり方の積み重ねだけでは、一人の指導者として自立できない、という話をします。
多分、いろいろな患者さんや児童生徒とかかわる教員やリハビリテーション技士に共有する話題ではないかと思います。

【例えば、図画工作の授業で】
MT(メインティーチャー)から、みんなで「ぬたくり」をやりましょうということになったとします。
MTは、ST(サブティーチャー)と子どもたちの前に立って、べったりと絵の具がついた画用紙の上に指腹(しふく)をのせ、ぐりぐりとかき回すように絵の具をのばしていきます。

これで、塗って色をつける、という学習ができます。
(目的は、色かな、感触かな、作品から分かる風景や概念かな、なんでしょう?)

ぬりぬり ぺたぺた

ところが、見ていると子どもによって、ST(サブティーチャー)によって、やり方が違うことに気が付きます。
指腹を使わず指先や爪をつかう、たたく、ぐるぐるまわす、ハケや筆を握って塗るなど様々です。

STも塗る指先だけを支える人から、肘を持ち上げる人、衣服が汚れないよう支援するだけの人、見守るだけの人と、これも様々です。

【この現れてくる違いは何なのだろう】

子どもやSTの能力、好み、作品から求められる風合いを出すためにと自然発生的なものもあるでしょう。
しかし、今回、じっくり考えたいのが「考えて、どんな方法を選択したか」について、引き出しの選び方が変わるということです。

自分が経験してきたこと、同僚の先生がこれまでやってみせてくれていたことのコピーだけでも授業に参加することはできますし、楽しく活動することもできると思います。
しかし、勉強していないと、それ以上の指導方法のバリエーションを求めることはできず、目的に応じた指導方法を探し出すことが困難になってきます。

今回については、「手の解剖」、「手の運動学」、「上肢の働き」、「(塗るという行為の)作業分析」、「手遊び」などがキーになってきますが、それらの基本をなんとなくでもつかんでいると、状況に対応する力が格段に変わってきます。

【終わりに】
子どもの学習目的にあった指導方法を…というとド正論なのですが、教員自身もその場で考え、悩んで、知識の引き出しをひっかきまわし、いい方法が見つかったとき、楽しくないですか?

今回これでいってみるかい?

だから、教員は事務仕事に追われるばかりでなく、自分で勉強したり、いろいろな人と「こんなときどうする?」と話し合ったりすることが大事なのです。余談ですが、そう考えると、「何でもよく知っている人」だけでなく、「いろいろ気軽に相談し合える同僚」もすごく大事だと思えてくるのですが、どうでしょう?

https://magomago1.org/215whyherefusetogotoschool202009/
前回は、「特別支援学校での不登校」についてふれました。

https://magomago1.org/217letstryehatyopucandoeverything202009/
次回は、「217)がむしゃらに杭を打ち、あとは要点をおさえて、ゆっくりできる人生を目指す。」です。できること、やりたいことをやっていけば、誰でもない自分を見つけることができます。