学校の文化 担任の先生より

215)特別支援学校での不登校

近年、不登校の話がよく聞かれるようになっています。

まずは数字でみたほうが早いと思うので、下の図をご覧ください。

不登校の子どもの数(16年度まで)

こんなに…?
最近、近所の小学生が「うちの学年不登校2人いてるねん。」など特別なことでない雰囲気を感じるようになってきました。

【私が感じている不登校の理由】
①友達との人間関係に疲れた。
②勉強についていけない
③学校に行って勉強するっていう、意味が分からない。
④面白いことがない。
⑤学校でやること以外にしたいことがある。
⑥教員との関係が超いやだ。
⑦学校に行かないことに対して、社会が寛容になった。
⑧学校以外に行くところ、やれる場が増えた。
⑨学校に行かない子が多いので、それで孤独感を味わうことがない。
⑩学校に行かなかったことが、社会的なドロップアウトに直結しなくなってきた。

【特別学校にいた不登校の生徒】

不登校になったAさん、Bさんはともに話ができて、知的には小学校低学年くらいの力があります。
なぜ、学校に行かなくなってしまったのでしょうか。

①Aさんの場合(自意識?)
学校に通い、友だちとも仲良くやっていたはずなのに、突然学校に来なくなりました。
そうして、保護者からのクレームの電話。
「うちの子にね、名前でなくて、あだ名で呼ぶのを止めてください。」とのこと。

え?それだけ?とも思いましたが、今の学校では「~ちゃん」や「あだ名」ではなく、「~さん」、「~君」と名前でなくて名字で呼ぶことが人権を守ることだと指導されています。なので、昔みたいに、「親しみも込めてですから、まぁいいじゃないですか」とは言えなくなっているのです。

【あだ名について、余談】
あだ名といえば、中村雅俊がでていた「俺たちの旅」とうテレビドラマでは、すごかったですよ。
主人公の中村雅俊は、車が好きだから「カースケ」
昔のお妾さんの子どもだった友達はダメな男だからと、ひっくりかえして「オメダ」
主人公の先輩(火野太作)は「グズ六」ですよ。

左からオメダ、カースケ、グズ六
エンディングのセリフが、とにかく深い。

それでも、それぞれを大事にして、親しみを込めて付き合っていた仲間でした。
呼び方と人権って、本当に関係あるのだろうか…。
それはともかく、呼び方を改善しますということで、A君は学校に来るようになり、立派に社会人になっていきました。

卒業しても頑張れ

②Bさんの場合(現実と理想の乖離)
Bくんは学級の中では発言もできるし、思っていることも、ゆっくり聞けば答えてくれる児童でした。
ところが、学力について、他の子よりできなくて差が開いていくし、遠慮なくどんどん喋る同級生に押されて、言いたいことも言えなくなりました。

自信がもてなくなったのでしょうか、彼もまた不登校になっていきました。

それに対して、他と比較せずに彼ができると確認できる学習の保障、能力別授業の実施、言いたいことをゆっくりと聞く(傾聴)、などを実行します、ということで学校に来られるようになりました。

自信をもって生きたい!

【最後に
大人も職場に行けなくなったりしますし、昔と比べて何がどう変わってしまったのでしょうか。
個性やそれぞれ価値観が認められ、できりこともできないことも寛容に受け止められるようになってきた。
しかし、そのせいで「ここは、こういう場所なんだ!」「自分はここにいるんだ!」という帰属意識や居場所そのものへの実感が持てなくなっているのかもしれません。
みなさんは、どう思われますでしょうか。

https://magomago1.org/214itisdifficulttoeat202009/
前回は、「214)摂食指導には、探求心と線引きが大事です。びいどろ長岡さんからの助言を受けて」でした。

https://magomago1.org/216letslearnforyourcreativeaction202009/
次回は、「216)聞いた指導方法を再生するだけでは、授業や治療は楽しくないというお話です。」


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