肢体不自由の特別支援学校でよく聞かれますが、「子どもの反応を、待つ」について書いてみます。
正直、今でも「待つ」ということは怖いし、不安だと思っています。
なぜかと言うと、待つということは「結果が想定できるまで、目の前の子どものことが分かっているか」、「もし教員サイドが認識できる反応がなかったときどうするか」、問われるところだと思うからです。
学校現場で、時々残念な先生認定されるのは、「待てずに結果を出したがる」、「反応があったことにして進めちゃう」ときが多いです。授業の進行上「ここはそうするしかないか」、「新しい取り組みなので、様子を見る段階だ」と思われる状況だと、話は別です。
【何を待つか】
「刺激⇒反応」の段階から、対話的なものまで様々です。
待っているものは「はい」という口語的な返事から、ジェスチャー、サイン、まばたき、表情、目線など、個々がもっている表出手段をどう使うことを期待しているかによって違ってきます。
いつ、どんな手段を用いるか、反応したときの報酬は何か、授業の中で活きるものか、などに留意しながら働きかけますが、待つことが美徳になり過ぎて、授業が停滞する、他の子どもが待たされ過ぎることがないようにしたいものです。
【妥当かどうか】
「待つ」ことにおいて、期待する状況や場面が適切でないことがあります。
笑顔を出す、笑うこと⇒食べるときは誤嚥リスクや不良姿勢を誘発するので不適切。
子どもが理解できない内容や方法を問いかけに使う、見えないところに選択肢を提示する。
待つことによって子どもの意思決定を保証している、と機械的にすすめていると、そうなりがちです。
が、実態が把握しきれていない、指導方針がかたまっていないうちは、「まず待って観察してみる」というプロセスは大事です。
https://magomago1.org/347beforeadmissionspecialeducationschool202102/
前回は「347)特別支援学校 1日入学のミッション」でした。