学校の文化 担任の先生より

273)権威ある通過儀礼だった学校、なんでこんなに…。

「学校」

この単語を聞いて、地域によって、年代によって、学校によって、個人によって捉え方や感じ方が違います。ポジティブ、ネガティブいずれにしても、学校教育制度があり、何らかの方針で動いている以上、全体的な傾向としてこうだった、と時代ごとに分類できると思います。

【令和の時代の保護者が子どもだった頃】
今、保護者として児童生徒を育てている年代は、第二次ベビーブーム40~50歳台から、バブルがはじけて不景気になった頃あたりの年代ではないでしょうか。

校内暴力、いじめ、非行、学歴社会など、様々な問題を抱えつつ、学校は卒後の就労(社会)への通過儀礼の場所として存在し、そこにいた何割かの教員は児童生徒に対して根拠のない権力と、内申書という印籠を振りかざしていたと感じます。

「何だ、文句あるか」

【昭和から平成の時代にあったエピソード】
昭和の時代は、テレビドラマでも権威的な先生について、よく描かれていました。

・先生がビシッと生徒をなぐって「痛いか!先生の心も、それくらい痛いんだ!」
・「お前らは0点か、0なのか!」
・「ちょっと〇〇君のことで話があります。保護者の方にも来て頂いて、お話をさせて頂かないと。」
・バカヤロウ!⇒殴る

私の時代も経験したり、聞いたりしたなかで

・正座をさせて、髪の毛をつかんでひっぱり回す。
・床にたたきつけて、頭を何度も踏みつける。
・板書で「その日の気分で罰を決めます」と書く担任
・校庭を10周走ってこい!
・職員室前で、校則違反の髪にバリカンを入れる

などがありました。

もちろん、人間が成長していくうえで感動的なドラマもありました。
学校はそんな喜怒哀楽が入り混じる、両価的な場所だったのではないでしょうか。

学校、どんなふうに見えますか?

【現代の学校】
学校は変わりました。
体罰の禁止(昔もあったが守られていなかった)、アカウンタビリティ(指導について説明する)、コンプライアンス(法令順守)、モンスターペアレンツ、服務の厳正、成果主義など、こんな言葉が日常的に聞かれるようになりました。

ある意味個性的な先生は姿を消し、「養成」「育成」をする場所、という色が濃くなってきているようです。
児童生徒の居場所としての存在価値が薄くなってきているのかもしれません。

学歴社会に象徴される学校に対する価値づけが薄れている今、「学校は何のためにあるのか?」と厳しく問われ、子どもに問題があるとしたときに指摘を受けるスケープゴートとして取り上げられるようにもなりました。

こうした権威を失った学校に対して、子どもを人質にとられなくなった、過去に被害者だった今の保護者はどう学校を見るでしょうか。

評価される学校

【変わりゆく学校】
働き方改革、教員の休職や病気休暇、教員採用試験の倍率低下など、学校も時代の波にもまれながら変化しています。再び権威を取り戻すのか、役割を変えるのか、縮小して規制緩和の波に飲み込まれるのか、それは分かりません。

「変わらないものはない」、「何事もバランスがとられる」、世の営みはそういうものです。
今後、どう子どもの教育が行われ、学校という組織が変わっていくのか見ていきたいと思います。

https://magomago1.org/272makingvoicemakeyouandhimhappy202011/
前回は、「272)特別支援学校や介護現場 介助のとき言葉をかけるのには、大きなメリットがあります」でした。

https://magomago1.org/274whydoyoudopracticeinthespecialeducationschool202011/
次回は「274)なんで、特別支援学校で作業療法士の臨床実習やるの?」です。