こんにちは、雑賀孫市です。
今日は、肢体不自由を主とする特別支援学校の教員の動き方が、なぜ主観的なものになりがちなのか、考えてみました。
「私がルール」
知的と肢体の特別支援学校を経験してきて、そういう教員が多かったのは肢体不自由の特別支援学校だなぁと、漠然とそう思っていました。仕事で圧力をかけられるのはイヤですが、そういうことを知っていれば対応できることもあるかもしれません。
【学校にありがちなこと】
学校での人間関係は役職によるものと、経験値によるもの、立場や役割によるものの三つによって構成されていると思います。
役職は学校だけでなく、企業などでもあるので分かりやすい点だと思います。
教諭は正規雇用にあたる身分を指し、その上に副校長、校長などの役職がつきます。
実施と提案を教諭などが行い、役職がついた人が確認や承認などを行う感じです。
管理職でない教員同士だと、管理だけでなく、実際の指導にもからんでくるので、身近な上司にあたる人が仕事ができ、中立的な考えができる人だと当たりですが、権威主義的かつ感情で仕事をする人の場合は仕事全体がしにくくなることがあります。
経験値によるものは、心理学的にもいえるのですが、その場に長くいる人は新しく人がどんな人であっても自分が優位だと考えてしまう傾向があります。
経験については、その学校のルールや設備等の運用、文書作成、行事の運営、人間関係などの他に、所属する学級の子どもたちに関する理解度も大きく影響します。
そのため、先日書いたような、初任から5年目であっても、「指導したことのある子どもへの理解は私が一番、だから私に確認をとるべき」といった考え方がでてきます。
立場や役割については、公務員特有の縦割り的な意識が作用します。
それをする立場(役割)だからやってください、というものです。
ここで持っているものを発揮して、いいものが作れればいいのですが、「前年度と大きく違うので混乱する」、「〇〇君(子ども)への配慮ができなくなる」などの異論が次々と出てくるので、結局例年通りにしましょうというパターンがよく見られます。
【なぜ、支配層的な人がでてくるか】
肢体不自由を主とする学部に、専制的なリーダーシップが横行しがちになるか。
それは、前述したような経験則に基づく学校運営の面に加えて、子どもの指導に配慮すべき点が多いため、思い切ったスタートがきりにくい点にあると思われます。それについて、少し箇条書きで整理してみます。
①子どもに関する指導について、何を優先するか即決できない:肢体不自由を主とする場合、認知的な面か、運動的な面か、集団参加に関することか、指導の観点が通常学校の子どもと比較して多いため、すぐに優先順位を決めて取り組めない。
②子どもに関する指導について、医療的ケア、見えない内部疾患など、留意点が多いため、何をどれだけ取り組むか、基準ができるまで積極的に動けない面がある。
③保護者のニーズや要望が多様であること。
たとえ1年でも、指導に参加していれば、留意点が何で、何を基準にするか分かっているといないでは大きな差が出てきます。そのため、肢体不自由を主とする学部では、子どもの指導に関して役職や個々の授業力をこえた「経験則」が大きな意味を持つことになります。
【どうすればいいか】
経験則を得た人はどうするべきか。
私見ではありますが、経験則があるなら、周りの教員の教育観や持ち味を損ねないで指導体制を構築するにはどうすればいいか考えます。個々の経験年数や年齢、知識レベルに配慮しながら言葉をかけたり、指導方法を伝達したりすべきだと思っています。
主体性のなくなったチームはリーダーが不在になると、指導方法を強要され、その意味が分かっていなかったりするので応用がききません。リーダーのAさんがいないと機能しないとみた管理職は、更にその学級に必要な人材としてAさんを在籍させ続けるかもしれません。チームが育っていないとふんだ場合、人をまとめることに長けた主任格をいれてAさんを異動させるかもしれません。
このことから、学級運営を見る時は、指導体制(数)、子どもの実態(個人)、子どもの実態(集団)、環境面、授業方法だけでなく、教員の人間関係にも目を向けるようにしています。そこをみないと、いくらいい指導でも運用ベースにのらないことが多々あるのです。
http://magomago1.org/whatareyoudoingbeforehisjobstarts202006/
前回は、「176)特別支援学校の先生が早く出勤して、やっていること」でした。
http://magomago1.org/meetingwithotherjobstaff202006/
次回は、「178)就学前施設と連携してみて」について書きました。