学校の文化 担任の先生より OT・PT・ST

172)研究授業で「子どもにどうなって欲しい」か語れるか①

こんにちは、雑賀孫市です。
今日は違和感というか、これまで気づいていなかったことに気づいたので、頭の中で整理しながら書いていきます。

公立学校の教員には、研修があり、研修では座学か研究授業がよく行われます。
研究授業とは、ある時間に授業をやりますと決めて、いろんな人が見に来るというものです。
子どもの頃、何やら大勢の大人が教室に入ってきて、後ろで並んで見ていたのを覚えていませんか?

その授業の前に先生は日程を決め、普段の授業以外にそれに向けた「指導案(しどうあん)」を作成し、テロップなどの教材を準備します。
論陣をはって、いかに考えて作られた授業であるかを披露します。
その作りこむ過程と、後にいろんな先生からの助言を聞いて、授業力を向上させるというものです。

私が教員になった頃、研修のなかで指導案について検討する場があって、そこで聞いた言葉は、「授業で一番大事なのは、子どもにどうなって欲しいか」でした。当時の私は医療分野からうつってきたばかりで、「子どもの学びになる、意味のある授業を」と考えていて、それは当然だと思っていました。

有意義な授業をするために、子どもの様子や働きかけなどから実態を探り、試行錯誤し、検証し、妥当性のある目標に向かって、少しずつ積み重ねていくことが大切だと思っていましたし、学校であるが故に集団での生活をどう構築するか、についても考えていました。

【どうなってもらいたいか、の意味】
どうなってもらいたいか、ですが、今の実態から子ども本人にとって、保護者にとって、教員にとって、将来かかわっていくであろう人(まだ見ぬ支援者)にとって有意義な学びや生活習慣を指していると思っていました。

が、最近聞いた「どうなってもらいたいか」は、教員になったばかりの新人に向けられたもの。

車椅子にのった子どもたちの集団に出会ったのは初めてで、目の前にきている子どもがどんな子か、何ができるか、何を求めていくことが妥当か分かりません。
学校の教員としてどんなことができるのかも、まだ見えていません。

そんな人に、投げていい言葉なのだろうか?

整理がつかないよ…

正論であるといえばそうですが、私の場合、新しく出会う子どもと、その学校の状況を把握して、中長期的に目指していくものは何で、どの程度求めるか決められるのは、早くて3か月です。
少し遅いと思われるかもしれませんが、大ハズレにならず、戦略的に進めるにはそれくらいの時間が必要なのです。

どうなって欲しい、は教員の希望や期待、願望だったりします。
文化を伝承することが教員の役割とするならば、それもいいでしょう。

しかし、子どもの自立活動(健康の保持…)や実態に応じた指導も大事だとするならば、少し考え方を変えないといけないかもしれません。

http://magomago1.org/economiclearninghelpus202006/
前回は、「171)経済学より、今の学校の課題が見えてくる」です。

http://magomago1.org/whatdoyouwantthemtobe20200623/
次回は、「173)研究授業で「子どもにどうなって欲しい」か語れるか②」です。

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